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真景累ヶ淵を語り終えて

12月18日から20日までの三日間、真景累ヶ淵を発端から第三話の豊志賀までやりました。


小さい勉強会ですが、僕にとっては今年一番落語に向き合った三日間でした。


今年はコロナに影響された一年ですが、どの落語家も高座が減って、特に二つ目連中は、自分たちの落語そのものを改めて見つめ直したのではないかと思います。


僕も緊急事態宣言以降、仕事がない中で色々と考えた中でたまたま見つけたのが「真景累ヶ淵」です。この作品の魅力に取り憑かれた僕は全部やりたくて仕方がなくなったんです。幸い時間はたっぷりあるので、これからライフワークにして覚えて行けば良いやとはじめました。


そんな真景累ヶ淵元年の今年は、最初の三話を申し上げました。併せて喋った人情噺と共に振り返ってみます。


第一夜 「宗悦殺し」「芝浜」

「宗悦殺し」は今年の夏に覚えました。夏には3回ほどやりましたかね。宗悦が少し嫌なやつにならないと斬られないので、ちょっとしつこいですが嫌な人にしています。

この噺は、死骸を捨てた後の長屋の様子が楽しいので、そこは軽く滑稽話のようにやっています。

一番最後の深見家の崩落のところは淡々と話しているんですが、この中にその後の話に関わる下男の勘蔵とかお熊のことが入っています。こういう人をサラッと登場させておきながら後々重要な場面で登場させるのが円朝の凄いところですね。宗悦の死骸を捨てた男もしばらく後に出て来ます。

因縁のはじまり。丁寧にやるよう心掛けました。

「芝浜」は2年ぶりです。最近ずっと文七元結ばかりやっていて、芝浜はあまりやってなかったのですが、今年からまた再開。

以前よりスッキリしました。なんでしょう。この噺は重いのが嫌なんですよね。やってくウチに色々台詞が増えて行きそうになるんですけど、それを言わせない様にしています。

しっとり、ドラマチックにというのが好きな方には、僕のは合わないかもしれないですね。僕としては、ほろっと下げのところで来れば良いと思ってやっていますので、途中をあまりごちゃごちゃしたくないというのが本音です。

そういう思いでやったせいか、一番しっくり来た芝浜でした。


第二夜 「深見新五郎」「中村仲蔵」

この三夜連続公演で一番の収穫となったのが「深見新五郎」です。速記を読んでもあまり面白いところではないし、連続ものなのに既にスピンオフ的なこの「深見新五郎」ですが、やっていて楽しかったです。

真景累ヶ淵は新吉というのがとにかく悪いやつで、豊志賀以降本当に悪事を尽くす男になって行く酷いやつなんですが、この兄の新五郎も負けず劣らず悪い男です。というよりこの人は、頭がおかしいタイプの悪いヤツですw

現代で言うとストーカーみたいなもんで、本当に笑えないようなヤツなんです。新吉の場合は、悪に染まっていくのにもステップがありますが、新五郎は根っこがやばい人です。そういう意味では父新左衛門の性格を受け継いでいるのはこの兄の方かもしれません。そんなヤツに目をつけられたお園は可哀想過ぎます。最後は新五郎もお縄になります。

そんなヤツを演じていて楽しいとは僕もイカれてるのかもしれませんが、そういう部分の楽しさというか、この噺のリズムがとても心地よかったんですね。前半の、お園を口説くところの「静」から、新五郎の逃亡物語が「動」へ移って行くのが喋っていて気持ちいいんです。

新五郎が捕縛されるシーンは、昔の長屋の屋根とか蔵の映像とかを見て想像しながらやりました。最後はほぼ講釈ですね。

これだけでやってみても良いのかなと思いました。

「中村仲蔵」は役者の苦労と成功の話ですが、芝居が分からなくても良いと思ってます。以前は、仮名手本忠臣蔵の話を中に入れ込んでたんですが、その説明はあまりやらずにやってます。

あくまでも「一人の男が目の前の壁に立ち向かう」という構図だけを見せられれば良いと思います。五段目の中身の説明も、前後の話とかわかっていなくても「ああ、そういうもんか」という感じで聴いて貰えば良いですね。

仲蔵の女房もはじめのうちは主張が少なかったのが、やる度にどんどん出て来て、「一度で良いから 持ちたいものは 金の成る木と 良い女房」を入れるようにしています。


第三夜 「豊志賀の死」「文七元結」

「豊志賀」は3年前にネタおろししてやっておりますが、展開があって面白いですね。やっぱりこの噺はやり手が多い分、工夫もかなり加わっているかと思います。

真景累ヶ淵の中で最初に覚えたのですが、ほとんどやってないせいか、今回また新たに覚えた感じです。

豊志賀もお園と同様に、深見の息子と関わって辛い結末を迎えてしまうわけですが、今回少し怖く演じ過ぎましたね。それが反省です。色っぽい年増が朽ちて行く様を描けば良かったんですが、大事なその色を脇に置いてしまった感じになってしまいました。

怖いのは想像するから怖いんであって、お客さんにあまり見せない方が良いのかなと今回の三日間でわかりました。人情噺も然り、泣かせようと思ったら登場人物は泣かない方がいい。

お客さんに委ねさせるには、表現をグッと押し殺してやった方が、伝わるような気がしました。

そういう意味でも豊志賀はもっとあっさり描いても良かったと反省してます。これは来年に活かします。

「文七元結」はここ数年ずっとやっているので、セリフは腹に入ってるんですが、いかんせんこれも演じ過ぎになって来たのか、今回もあまり手応えは良くない方でした。

演じ過ぎず作り過ぎず、でも人物が浮き立つような工夫をもっと考えて行きたいです。


三夜を振り返って

三日間、お客様には本当に感謝しています。客席の半分は通しのお客様でしたから、本当にありがたいです。

やっぱり三夜通してやると、速記で読んでいる時と同じように物語自体を楽しむ感覚になります。

一席物だと会話を楽しんでいかに面白くするかですが、こういう怪談の通しだと因縁という襷を繋ぐ駅伝のような感覚でした。

誰かとやったリレーだとこういう気持ちにはならなくて、多分一人で繋いだからこその気持ちですね。

改めて、講談師の方がこういう連続物を当たり前のようにやっていることを心から尊敬しました。

「覚える」は落語家にとって当たり前だし、そこは単なるスタートですけど、この連続ものに関してはまずこの「覚える」にウエートが掛かっていて、時間を要するわけですし、覚えたからなんだと言われればそれでお終いですが、僕はこの真景累ヶ淵を大事にして行きたいなと思いました。

来年もまた三席、続きをお喋りします。


まず。


これまで。



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