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林家正蔵という名跡を辿ってみた。

私の師匠は林家正蔵です。正蔵としては九人目です。そんな林家正蔵の名跡を調べてみました。最近のWikipediaは優秀で、これを見ればかなり色々なことがわかります。実際はもっとたくさん書いてあるんですが、要点だけまとめてみました。最後のところに私の感想も載せておきます。

林家正蔵代々

()内は正蔵だった期間。太字はWikipediaから引用。

初代(1811年頃〜1835年頃)
1781年和泉町新道の生まれ。記念すべき初代。初代三笑亭可楽の弟子。「怪談噺の始祖」といわれ「怪談の正蔵」の異名を取る。名前が何度も変わっているので、明確に正蔵だった期間は算出できない。晩年は正蔵坊を名乗った。ちなみに、「林屋」は「はなしか」に音を合わせたもの。俳名を林屋林泉。

二代目(1839年〜不詳)
生年と没年が不詳のため、正蔵だった期間が定まらない。「蒟蒻問答」「野晒し」の作者と言われる。弟弟子の林家正三が上方の移り、上方に林家を興す。

三代目
東大落語会によると上記の二代目正蔵が三代目というのが正しいという。

四代目(1865年頃〜1878年)
元は役者で市川東次(中村藤次とも)、のちに2代目正蔵の門下で初名不明、上蔵、正楽を経て、1865年ごろに四代目正藏を襲名。一時二木屋正藏。1878年に正翁と改名。1879年7月2日没。

五代目(1888年〜1912年)
本名は吉本 庄三郎。この代から「林家」。江戸(東京)・林家の系統は五代目で途絶える。愛知県生まれ。晩年は沼津に居住し「沼津の師匠」と呼ばれる。1923年3月6日没。享年100。通称は「百歳正蔵」。辞世の句は「百とせを花に過ごして花乃山」、墓所は住まいのあった近所の沼津市末広町真楽寺。

六代目(1918年〜1929年)
本名∶今西 久吉。師匠は二代目談洲楼燕枝。六代目春風亭柳枝らとともに「落語同好倶楽部」を結成し噺家以外から岡鬼太郎(作家)、森暁紅(記者)、正岡容(演芸作家)、徳川夢声(活動弁士)等の著名人を招いて噺を聞く会を開いた。当たりネタ「居残り佐平次」より通称「居残りの正蔵」や「今西の正蔵」。

七代目(1930年〜1949年)
東京三ノ輪出身。本名は海老名 竹三郎(えびな たけざぶろう)。海老名という苗字は母方の実家の名字で海老名家は鉄砲奉行の同心の家と伝わる。旧姓は山崎である。家業は穴蔵屋(角風呂専門の製造業)であったと長らくされてきたが風呂桶職人で素人の天狗連で新内や落語を語っていた。落し噺、新作を得意とし、時事感覚に長けたギャグの達人であり、長男・初代林家三平の決めゼリフ「どうもすみません」や、額にゲンコツをかざす仕草も元来は7代目が高座で客いじりに使用したもの。怪談噺・芝居噺を得意とする歴代正蔵の中にあって、爆笑落語を通した異端児であった。

八代目(1950年〜1981年)
本名∶岡本 義。東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。俗に「彦六の正蔵」、噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」と呼ばれた。

九代(2005年〜)
本名:海老名泰孝。当代正蔵。

私の感想

以上となります。最初が1800年の初期なので、この名前自体は200年続いていることになります。そして初代正蔵は、初代三笑亭可楽(商業噺家の祖先のような人)の弟子なので落語家の歴史の中でも初期頃に位置しているということになります。

代に数えない方がいたりするので、おそらく三代目のところが不透明になっているんだろうと思いますが、おおよそこの代の数え方が正しいようです。

全体のイメージとしては「怪談」というのがあります。これは初代が創始したのが要因ではありますが、八代目がそれを濃厚なものにされたように思います。

それと四代目までは「林屋」の字で、五代目から「林家」だそうです。たまに仕事先で「林屋」と間違われることがありますが、1800年代なら間違っていないんですねw

五代目で直系としては途絶えたとあります。六代目は愛知出身です。また、六代目は先代の弟子ではなく二代目談洲楼燕枝の弟子です。七代目も柳家小三治から正蔵になっているので、元々は林家ではないことがわかります。

七代目については意外と知られていないことも多くて、あの「どうもすいません」などのギャグも元々七代目のギャグだったんですよね。

そして、八代目はまた複雑でこの襲名の経緯だけで一回分割けるくらいに壮大なお話があります。一代限りということで、正蔵となり初代三平の死去に伴い、名前を返上して、晩年彦六となりました。芝居噺、怪談噺を得意として「稲荷町」の長屋住まいはとても有名ですね。

当代(九代)林家正蔵

ウチの師匠は「九代目」という言い方より「九代」という言い方を好むのでこちらの言い方にしますが、九代正蔵となったのは2005年です。今から18年前です。師匠が今年61歳なので、43歳頃に襲名したということですね。

師匠は、七代目や初代三平の爆笑要素も持ちながら、八代目のような古典落語の要素も兼ね備えた稀有な存在だと思っています。

地方に行って、落語を知らないお客さんにはこぶ平時代から培った漫談も出来るし、都内に戻れば落語研究会やそのほか古典落語の名手と言われる師匠との二人会などもやるし、かなり幅が広い芸を持っていると思っています。

林家の中のはな平

そんな林家の中でじゃあ僕はどんな存在になりたいかと言うとやっぱり「林家の古典派」です。

だけどガチガチではない古典派を気取りたいですね。

林家の精神は二つあると思っていて、一つはねぎし(初代三平)の精神である「親しみやすさ」。落語を聞いたことがない人を置いて行かないわかりやすい落語をやりたいです。

もう一つの精神は稲荷町(八代目正蔵)の精神。こちらは円朝ものを始めとした落語の語り芸を追求する心。

古典を大事にしながら、親しみやすくわかりやすい落語を追求して行きたいですね。

正蔵という名跡を辿ったことでその気持ちをさらに強くしました。

今日はそんな林家のルーツに迫ってみました。

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