ブラックマンバ〜コービー・ブライアント〜(第三章)
こんにちは‼︎Akkyuです‼︎
今日も暑いですね💦まだまだ夏本番では無いのに…ムシムシします💦
今日はコービー物語の第三章です!
NBAでのキャリアをスタートしたコービー。
華やかなルーキーシーズンの幕開けをご覧下さい^_^
第三章: NBAキャリアの幕開け
ドラフトと初期の成功
1996年の夏、18歳のコービー・ブライアントはNBAドラフトにエントリーし、その名前が広く知られるようになりました。
彼の夢はついに現実のものとなりつつありました。
期待と不安が入り混じる中、コービーの名前は全体13位でシャーロット・ホーネッツによって指名されました。
しかし、これはほんの始まりに過ぎませんでした。
指名された直後、シャーロット・ホーネッツはコービーをロサンゼルス・レイカーズにトレードすることを決定しました。
これにより、コービーのキャリアはロサンゼルスで始まることとなりました。
当時のレイカーズには、シャキール・オニールという巨人が在籍しており、彼との出会いがコービーの運命を大きく変えることとなります。
ルーキーシーズン
レイカーズに加入したコービーは、その才能をすぐに発揮しましたが、ルーキーシーズンはベンチからの出場が多く、出場時間は限られていました。
それでも、彼のプレーは瞬く間に注目を集めました。
練習での熱心な取り組みや試合での瞬発力、得点力はチームメイトやコーチ、そしてファンたちを驚かせました。
1996-1997シーズン、コービーは平均7.6得点を記録し、その才能の片鱗を見せました。
そして、彼の最大のハイライトは1997年のオールスター・ウィークエンドに訪れました。
オールスターのスラムダンクコンテスト
1997年、クリーブランドで開催されたNBAオールスター・ウィークエンド。
若干18歳のコービーはスラムダンクコンテストに出場しました。
彼のダンクは観客を魅了し、審査員を唸らせました。
圧倒的な身体能力と創造力で次々と豪快なダンクを決め、最終的に優勝を果たしました。
この勝利は、コービーがNBAの新星として注目を浴びるきっかけとなりました。
この成功により、コービーの自信はますます高まりました。
彼の競争心と努力は、次のシーズンに向けてさらに燃え上がりました。
彼はベンチからの出場であっても、自分の力を最大限に発揮し、チームに貢献することを誓いました。
こうして、コービー・ブライアントのNBAキャリアの幕開けは、若き天才の誕生を世界に知らしめるものとなりました。
初期の成功と苦労を経て、彼はさらに高みを目指し続けるのでした。
次なるステージへと進むコービーの物語は、ますます輝きを増していくのです。
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