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教員だったころの思い出②水害

ここ数日ずっと雨。
今日は線状降水帯が発生するかも、という予報が私の住む地域には出ている。と言っても私の住む場所は一度も線状降水帯は発生していない。

水害で一つ思い出したことがある。

数年前、10月の台風で勤務していた学校が一部浸水したことがあった。
その時はひと山超えて、勤務地と自宅が離れていたので自宅のある地域は大丈夫だったが、勤務先の地域は壊滅的な被害を受けていた。
ひと山超えただけで、こんなにも被害が違うのかとびっくりしたものだった。

私の自宅のある地域は台風などは直撃するが、今まで浸水などの被害を受けたことはなかったので、浸水って相当大変なんだと痛感した。

当時の勤務先の学校は3連休の2日目に台風直撃で被害を受けた。
部活もすべて停止しており、連休明けの火曜日は臨時休校。
ニュースで被害状況は見ていたので、大丈夫なのかと思い出勤すると、そこで見たのは連休前とは別世界の茶色の光景だった。

学校は玄関や1Fにある倉庫、教室の一部、第2体育館が浸水しており、まだ泥が残っている状況だった。管理職が3連休の3日目に少し泥水を撤去したらしいが、とても数人でどうにかできる範囲でもなく、ほぼ手付かずだった。教員が人海戦術で机やモノを運び出し、水をまきながら泥水を掻き出す作業を午前中かけて行い、昼からは地域のお世話になっているお店で泥につかった商品の搬出作業のお手伝い。

学校被害で一番びっくりしたのは第2体育館の床。
体育館の床が水分で丸まり入り口のドアが全くあかない。
床がたわんで凸凹になっている。衝撃的な映像だった。
結局半年以上かけて第2体育館の床はすべて張り替えられた。
あと、グラウンドも泥水が入ったため泥を取り除く工事が入った。

生徒が登校し始めたら、全校総出で地域のお世話になっているお店や駅などの片付け。駅も線路が見えないほど泥に浸かっていた。駅の自転車置き場もどろどろで自転車置き場の掃除をみんなでした。
男子は掃除に行くために道具を持って歩いていると「こっちも手伝って」と地域の人から声を掛けられそちらの手伝いに行く。ボランティアの方が入る前の若い人では貴重だったようだ。泥を吸った畳がびっくりするほど重いことを知ったのはこの時だった。
ボランティアの方も人数は限られているので、その後も継続して部活動の生徒などが地域の復旧作業を手伝っていた。

水害を体験して、肉体的な疲労はもちろんだが、水害から防災無線の案内と救急車のサイレンがひっきりなしに鳴り響く日々。防災無線と救急車の音は、そのあと一時トラウマになった。
車も200台以上浸水したということで、高速の入り口はレッカー車渋滞になっていた。当時の校長の車も浸水してダメになっていたな。
あと、泥が乾いた後ほこりが宙を舞い、花粉の季節でもないのにアレルギーが出たりした。結構水害の時の泥水は厄介だ。

水害時の水の威力はすごくて、学校前の自動販売機が水圧で斜めになっていたことにも驚いた。

この経験で、長靴、滑り止めのついた軍手、使い捨て手袋、ほこり防止のマスク、この4点セットを常備することにした。絶対必要だ。今も4点セットは自宅に置いてある。

今考えてもあれはきつかった。
これから台風や水害の季節。
被害が少なく済むことを願うのみ。




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