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日記#23.04.01

久しぶりに誰とも会わない日だったので、たまに起きてぽつぽつとTwitterを眺めることをしつつ、結局は布団から出られず夕方頃まで寝ていた。メルカリ用のツールを使って金策をうまいことやろうとしていたもののそれすらうまく行かず、今日の進捗はほぼほぼゼロ。強いて言うならエフェクターボードを掃除し新しく組み直して、noteマガジンを編纂し、エゴンシーレと庵野秀明のポストカードを部屋に飾った。

オンライン面接が始まるまでには改善したい

名状しがたい敗北感にも似た何かが重たくのしかかり、ここ数日の私を支配している。大学の卒業という最低限のそれこそ果たしたものの、今年の春休みは失敗と挫折のミルクレープのような、層状の躁と鬱の美しくも苦く食べづらい様相であった。

遡れば一連の敗北は一月、精神を盛大に崩壊させ、同窓会とライブの欠席連絡をいれたところに端を欲する。成績にほとんど考慮されない卒業論文の仕上がりのためにバンドの進捗と預金口座のHPとを犠牲にし、卒業旅行で食べた牡蠣から見事ノロウイルスを獲得。幾らかの予定を墓地に送りつつ、引越しの予定を滞らせてターンエンド。アディショナルタイムではプレーヤーの席を立ち、欠席するはずだったライブイベントに身を投じフィジカルにダイレクトダメージ、ついでに昔からの大切な人との縁を手ずからぶち壊しメンタルにも深刻で重大なダメージ。心技体が混然一体となった真白なボウリングピンこと私は、失敗の奔流13ポンドに押し倒され、あはれ黒く深い奈落の底へと落ちていった───

自分が明らかな失敗をしたときの回復に必要なのは睡眠と時間、ついでに娯楽とそれを担保する金とである。しかし私は現在アルバイトすらしておらず、月末には30万円に迫るクレジットカード請求を控え、そのくせ口座の預金は5桁をゆうに下回る。同期の大半が就職を決めようといった段になって、人生最大の金銭的ピンチである。メルカリを駆使して全てを取り返さなくてはいけないものの、行動を起こす気力さえ奪われ、ジリ貧の大学院生活が幕を開けた。唯一の希望であった高時給インターンにはGithubのアカウントを添付し返信しろと言われ、明日のうちにはどうにか卒論用のプログラムを良いように見せるそれを、アカウント取得の段からはじめなくてはならない。気が滅入りに滅入り、衝動のままに一日を寝潰してしまった。

記事を書いている時間も楽しいが、最近は読み手としてもnoteを活用している。スキはいずれ見返したい記事にのみ押したいという流派に属しているのだが、こと友人知人の記事に関してはひとまず目を通したことを示したい時もあり、そのあたりがイマイチこのプラットフォームが伸びきらない原因なのかと推察してみる。逆にTwitterはブックマークの機能が追加されたあたりから、少しずついいねをコミュニケーションのために使うことができるようになったように感じる。バンドマンの端くれたるもの、Twitter上で生まれた実益に塗れた縁を途切れさせないために、使いこなしていかねばなるまい。このあたりは抜群に上手い友人を何人か知っているので、うまいこと盗んで獲得していきたいものだ。

唯一の感情の吐き出し先であったTwitterを空元気だけで運用していると、ついついnoteに手が伸びる。このサイクルは自己表出と文章構成の訓練との兼合いを見ても非常に理にかなっており、おかげでTwitter越しに感じていた冷めた視線が多少和らいだことを感じつつ、文章力(どちらかと言えば、筆の速さ)にも微々たる向上が見られているように感じられる。しかし、特に日記は予定通り数少ない知人にのみ見られているようで、暖簾に腕押しの感覚からやはり少しの物足りなさを感じないでもない。それにしても、明らかな空元気のようなツイートを見て、一連の日記を読んでいる親しい諸兄はどう感じてくれるのか。少なくとも不快感の強引なシェアさえなければ無理にツイートする必要などどこにもないのであって、きっぱりと日常を切り離してしまうのもひとつの手だろうか。

Twitterで愚痴愚痴と負の感情ばかりを表出していたのは、理解と繋がりを求めたい気持ちも含まれるものの、バンドの歌詞が曲調的にボカロ世代のインスタントな厭世観によるものと捉えられることが嫌で嫌で堪らなく、ついつい本質的な負の部分を自己表出に滲ませたくなってしまったことも原因のひとつだ。数年をかけ負のデジタルタトゥーはたっぷりと増産したのできっぱりと足を洗いたいが、しかし自分を含む誰かを直接攻撃しない事柄についてはやはり生来のナイーブさをひた隠しにしたいとも思わなくなってきた。そのあたりのバランスをうまく取れるようになることも直近の目標としたい。

自分に対して非常に攻撃的な発言を繰り返していると、見る側はその攻撃性が他人に向けられることを想像してしまうのだなということを昨年ようやく学んだ。最大の反省である。もし親切な読者がいれば、その他細々としたフィードバックをいただければ幸いだ。兎にも角にも、良い意味で優しく甘やかされ、悪く言えば腫れ物扱いされてきた10年あまりの負債をはやく返済しなくてはならない。この言葉が呪いのように頭を渦巻く以上、根本的な自己否定と回避型のパーソナリティが改善していくには時間がかかるのだろうけど、まずは目に見える振る舞いから改善していきたい。

ここ数日の日記は形を変えて同じことを繰り返すだけの場になっている。やはりどうしても誰かと話さなければ新しい発見は見込めないのだけど、先述の敗北感似た何かが拭えない以上、しばらくは誰とも話したくないのが本音だ。この自己矛盾した精神構造が一日でも早く癒やされていくことを強く願う。

就活がおわったら話そうと約束している数人が、実はかなり失敗から回復するためのキーパーソンとなっているので、早めにコンディションを整えておきたい。失った縁を数えるだけの日々が早く終わりますように。

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