短編:今夜、わたしたちが穏やかに眠るために。
大嫌いな彼を殺すことにしました。それはもう目に余るほどの、凄惨な最期を与えてやるのです。仕舞いにはきっと、いままでの数々の仕打ちをひとつひとつ挙げ、悔い、救いと赦しを乞うでしょう。
***
慈悲深い私は、縋りつくその手をとり、優しく抱きしめ、あたためてやります。
丁寧に。丁寧に。丁寧に。丁寧に。
指の一本、皺の一片に至るまで。忘れることの無いよう目に焼き付けます。
感触を確かめます。
においを覚えます。
口に含みます。
慈しむように緩慢な所々作々。何と解釈したのか、彼の目に弱々しい光が差し、媚びるような引きつった笑いを浮かべます。
私もつられて、笑みを返します。
そして、その卑しい首を、私はナイフで刺しました。
いち、ど。
に、ど。
さんど、と。
動脈から噴き出す鮮血と、僅かな希望を蟻のように踏み躙られたその惨めな表情と、眼窩に溜まる不浄と、耳を貫く2.5kHzの絶叫。
耳で感じ、覚えます。
黴臭い空気を劈くけたたましい程の怪音が、石造りの壁に吸い込まれていきます。数十人か、数百人か、あるいは数千人か。かつてここに居たであろう幾多の咎人たちの意識は揺らぎ、石壁に棲みつき、鉄格子を震わすようでした。
その痛みは彼だけのものではなく、その意識は彼だけのものではなく、その身体すらもまた、彼だけのものではない。
ましてや、この憎しみと、怒りと、不快感と、侮蔑と、血湧くような興奮と、快感もまた、私だけのものではない。
私だけのものな筈がない。ない。ないのだ。
迷い込んだ地獄で。私は確かに聞きました。
王宮の地下に立ち並んだ41の地下房から、そのひとつひとつから、救われるべき魂たちが歓声をあげています。
彼らは口々に叫びます。
『殺せ、殺せ、殺してしまえ!』
『赦すな、赦すな、赦すな!!』
『制裁を、鉄槌を、審判を!!』
悲鳴をあげて縮こまる、小さく憐れな男を見下ろして。
『『『『『 制裁を! 』』』』』
刃渡り15センチのナイフを、鋼鉄のガベルに持ち替えて。
『『『『『 鉄槌を! 』』』』』
骨の髄まで焦がす、艶やかな殺意に身を浸して。
『『『『『 下せ! 』』』』』
視界を埋め尽くす、鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤。鮮やかな赤━━。
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重厚な木造りの扉を押し上げると、そこはいつもの寝室でした。血と汗で汚れた外套を窓から放り投げると、城下町の夜の喧騒が、過敏になった神経にひときわ大きく聞こえます。
飢えた民衆と、飽食の国王。
奴隷の国が肥えれば、貴族の国が飢える。
そして、既得権益ほど、没落という事実を認められないものでした。この国はとうに終わっていました。とっくの昔に、終わっていたのです。
賢者は歴史を紐解き、街の実態を指して口々に訴えました。
裁判とは名ばかりの私刑にかけられていった民衆。王政の名の下に、掃いて捨てられた人間たち。
そうしてひと握りの貴族は肥え、愚者は城に集められました。
あるいは、そんな王に見止められたわたしも、愚者のひとりにすぎないかもしれません。
***
用意されていた夜食と、水差しから掬い上げた檸檬とを口に含み、再び窓の外を見やります。
彼らが今夜、穏やかに眠れることを願って。
私がいつか、穏やかに目覚めることを願って。
首をもたげた睡魔に、私は身を任せました。
***
必死の形相で衛兵が部屋に飛び込んできて、なにやらまくし立てています。
コクミンガハンランヲオコシタヨウデス。シロニハヒガハナタレテイマス。コクオウノオスガタガドコニモミアタリマセン。ウラモンニバシャヲヨウイシテアリマス。オウヒダケデモドウカ。
そうですか、と私は再び目を閉じます。
なぜでしょう、うまくあたまが、まわりません。
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何者も、さいごまで、眠りを妨げることはありませんでした。
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床に落ちて割れたカップの音も、鍔迫り合う金属の音も、迫りくる火の手も、怒号も、夜明けも、快哉を叫ぶ声も、地下牢の声たちも、なにもかも、なにもかも━━。
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