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わたしたちはお客様で、飲食店はお店様

リアルな場を持つビジネスの窮状が心配でしかたがない。
同時に、それらを利用できない自分の生活も心配でしかたがない。

特に飲食店。週に5回は食事やお茶で飲食店を利用してきたルーティーンを強制的に止められた生活は、分厚い手袋をして生活させられているような不便さと不快さだ。

「不要不急の外出を避ける」というお題目のもとに休業(を要請され世間の目により強制)させられている飲食店が、ふだん、いかに生活に潤いを与えくれていたかを痛感する。

もとい。「生活に潤い」などという牧歌的な表現をするから、「不要不急組」に入れられてしまうわけで、本当のところは、カフェやレストランは精神生活の起動音であり、生活の駆動システムの重要なパーツ、つまり大いなるチカラだったのだ。

よのなかには、とてもたくさんのお店が存在し、わたしたち生活者の時間とお財布は限られているので、ついつい「選ぶ側」の目線に立ってしまう。彼らは私たちをお客様と呼ぶが、私たちはお店を「店」と呼ぶことはあってもお店様と呼ぶことはないことにも、その取り違いが現れているのかもしれない。

だけれども、こうなって気づくのは、そこにあったのはお客様と店の関係性ではなく、支え合う客と店、ないしはお客様とお店様の関係性だったのだと思う。

閉店を選ぶお店が出始めて初めて、私の暮らしを薄氷を踏むような自転車操業をしながら支えてくれていたのだと、ただただ感謝と敬意が湧いてくる。TGIFは、Thank God Its Fridayの略だが、Thankすべきは神ではなく、Fridayを楽しみにさせてくれるお店様たちだったのかもしれない。


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