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〔自身の体験から③〕ひきこもり:就労支援と本人とのギャップ(前編)

※2002年10月に創刊し、掲載文が200本を超えたメールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本(予定)の掲載文を、毎週1本ずつ転載しています(字句や一文など小幅な修正をしている場合があります)。

※今月は、筆者である私自身の不登校とひきこもりの体験に関して書いた文章を転載しています。今回と次回は、ひきこもり体験に関連した内容です。

※私のひきこもり時代は1990年代のなかの7年間。きっかけは、直接的には両親とのトラブルですが、その背後にある社会への不信感・嫌悪感がありました。最初の2年間は閉じこもっていましたが、そのあと、職業選択や今でいう当事者活動への模索が始まりました。

※今回と次回は、決めたテーマに沿ってひきこもり体験を箇条書きで振り返り、執筆時点で気づいていたことをまとめたものを転載します。なお、今回は17年前に配信した号の掲載文であることを踏まえてお読みください(特に後編には当時の出来事を書いています)。

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ひきこもり状態から動き出すまで

◎不登校が終わったあとに納得できない対応をされた理由を、大学時代に両親から聞いていたが、ひきこもり2年目に母から「あれは嘘で、本当は当時のカウンセラーに指示されたことだった」と証言されたことをきっかけに、自分が受けてきた「教育」や「援助(カウンセリング)」を振り返るようになり、それらの営みに対する信頼が自分のなかで大きく崩れた。

◎ それ以後の勉強によって、繰り返されてきた両親とのトラブルの真因に気づき、また「親や教師やカウンセラーが行う教育や援助は、子どもの考え方や感じ方を無視して行うものであり、それらが盛んな現代は、教育や援助に圧迫されたり傷ついたりしている青少年が多いだろう」という問題意識を持つようになった。

◎ 私の関心は「どんな教育をやるべきか(教育の方法論)」から「どんな教育をやめるべきか(教育のやりすぎ)」へと移り、必然的に教師になる夢もさめた。

◎ 子ども主体の教育を行う塾、または不登校向けのフリースペースを設立したいと思うようになると同時に「子ども自身が教育をされすぎないように考え合う自助グループ」の結成を志したが、前者は自信が持てず、後者は参加者が集まらず、ともに失敗した。

◎ その後、高校時代の同期生が児童養護施設の保育士に転職したことを知って、興味がわいて児童福祉業界のことを調べたら、自分に児童福祉施設の受験資格があることがわかった。それがきっかけになり、児童福祉施設やサポート校など、子ども関係の職場に就職したいという思いがわき上がり、就職活動を始めた。

◎ 苦しみながら足かけ3年続けた就職活動も失敗に終わり、絶望の淵に立ってから、自分のなかで前述の問題意識がどんどん整理され、ついには「この考え方で生きていこう」という決意に至り、翌年『教育対策』と名づけたその考え方に基づく専門的研修への参加と市民活動をスタートした。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。