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諦められない理由

クリニックにお金を振り込んだ。約57万だ。

前回の移植の前、院長によるPGT-Aの説明はかなりネガティブに聞こえた。お金がかかること、そして、始まったばかりの研究であること、さらにダメージを与える可能性があること、不明な点がまだ多いことから、そこまでお勧めしないのだと言われた。

妊娠し、流産し、もう結構だと思っていた矢先、案内されたのがこの検査だ。残った8個の胚盤胞まで育った受精卵をどうせ廃棄するのなら・・・ということもあったのだろうと思う。少しモルモットにされている気がするし、クリニックにとってみれば都合の良い客だ。上の子がいるので、ダメージも通常より少なそうだ。何か障害が起きても、年齢のせいにできそうだ。

だって、年齢的には絶望に近いもの。

説明を受けた時には、私の誕生日よりも前に移植できそうな感じだったが、今回の様子だと、6月に流産した私が次に移植できるのは、10月初旬になりそうだと言う。すごい先の話に思える。

もうこれはほぼ実験なのではないか・・・と思えてきた。

それなのに、回答を迫られたら、YESと言うしかない。なぜならNoと言って、あとで後悔するのが怖い。もし検査しないで、また流産して、その次またと思っているぐらいなら、さっさと検査して成功率を高めて、残りの受精卵を迎えてみる方が、まだ諦めがつくんじゃないかと。

つまり、諦めらきれないから、諦めるための手段を取っているような状態だと思う。

色々と経験のある友人に伝えたら、「そりゃそうだよ。だって、単なる卵じゃない、「いのち」なんだもの。簡単に諦められないよね。」と。

それがまた重たい言葉だ。「いのち」かぁ・・・と思ってしまう。まるで8人の赤ちゃんたちが待っている気持ちになってしまうのだ。

捨てないで、捨てないで・・・・どんな命でも大切って言ってるのママじゃん!調べなくっていいじゃん!・・・そんな声が聞こえてくる。辛い。

私はなんということをしようとしているのだろう!!!と青ざめてしまう瞬間すらある。

クリニックからの連絡には、8個のうち、1個が融解した後、生育が止まったと。ひょっとしてこの受精卵を移植しようとしていたら、キャンセルだった可能性もあるのだ。

残りの7個を、生検に出した。結果が帰ってくるのは1ヶ月後。流産後の1度目の月経は終わり、来月半ばには2度目がくるだろう。そうしたら、妊娠OKというサインだと。

少し、運動でも始めてみようかな・・・最高齢ママにはきついわ・・・と。

流産前までは、高齢ゆえの障害や起こり得ることにずっと怯えていたことも思い出す。

・・・相変わらず揺らぎ続けているのである。


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