Lusie Candee
ぼんやりしている。
どうにもスイッチが入らない。頭が重い。よく回らない。目の前には作業せねばと立ち上げたパソコンのディスプレイはホーム画面のまま止まっている。やる気が出ないのである。……仕方あるまい。ここはあれしかない。私はデスクの引き出しを開き、小さな箱を引っ張り出すと席を立ちその場をあとにした。上司がなにか言いたげな目でこちらを見ていたが、知らない。一先ず外の空気を吸いたい。サボり?そうとも言う。職場を出て深呼吸をひとつ、それからすぐそばのベンチへ腰かけた。今日はいい天気だ。
「やってらんねー……」
ひとりごち、手にした小箱を開けて軽く傾けた。ころんと転がり出てきた宇宙の色をしたそれを口へ放り込む。甘くて、少し酸っぱい。重かった気分がいくばくか軽くなった。お気に入りの飴玉だ。
「…また新作出るんだっけ。買わないとな」
箱の隅の、「LC」のロゴを眺め呟いた。このロゴもかわいくていい。Lのところに、パーマのかかったショートボブの女の子が座っている、ポップで洒落たロゴ。ディテールは今風になっていってるものの、昔から変わらない。昔から。
「なんで私、こんなことしてるんだろ」
夢は、このキャンディメーカーで働くことだった。なのに、現実は厳しい。全く関係ない、何をやってるかわからない会社で、何をやってるかわからない仕事をしている。せめて自分が何をしているのか把握したい。転職したい。会社、急に潰れないかな。と思った直後だ。
ドーン、と、すぐ近くでとても大きな音がした。何事か。
「○○社が潰れたー!」
「ビル壊れた!」
通行人の声。なんと弊社、潰れたらしい。
「……まじで?」
サボってよかった。サボらなかったら今頃どうなっていたのだろう。じゃない。どうしていきなり潰れた?あと決して「助かってよかった」ではなかった。突然、すっ、と目の前に影が落ちた。私が顔を上げると、そこにそれはいた。
「人間か。邪魔だ」
「そこ、どいてー。どかないとー」
「オレが食っちまうぜ、嫌なら消えな!!」
なにかが3体いる…のではない。いるのは1体。頭が3つある、なぜか目の下に深い隈のついたクマが立っていた。
「ひっ…」
逃げようとした。だけど足が動かなかった。
「退けと言ったはずだが。死にたいのか?」
「ううー、ねむいー」
「のに寝れねえんでこっちは気が立ってんだよ、これ以上苛つかせんじゃねえ!!」
クマが腕を振り上げる。これはまずい。弊社みたいに潰れる。弊社みたいに。その時だ。
「ストップだ!そういうの、よくないと思う」
微妙にフワッとした制止の声が飛んできた。クマは口を揃え、何者だと叫んだ。潰れた我が社の隣、建物の屋根に人影があった。たぶん男だ。シルクハットめいた帽子を被り、革で出来たロック調の燕尾服を纏っている。首に巻かれた星空のようなスカーフが風に棚引いた。本当に何者だ?
「俺はルーシー・キャンディー。よく覚えてけよ?」
「ルーシー…!?」
思わず声を上げると、ルーシーと名乗った男は満足げに笑った。そして屋根から飛び降り、着地すると大袈裟に両手を広げ言った。
「さあ、ご覧あれ!それと、とくと味わえ!」
三つ首のクマはぽかんと口を開けている。それがいけなかった。ルーシーは帽子を取ると、その中から子どもの拳程の大きさをしたなにかを取り出した。それの包み紙を剥がすと、透き通った琥珀色の球体が現れる。包み紙?そう、これはキャンディだ。
「ほうら、喉に詰まらせるなよ!」
言いながら彼はキャンディをクマの口へぽいぽいと投げ込んだ。
「な、なんだ…何を…」
「あまい…!はちみつ…あじ……」
「どういうつもりだテメー!?」
三つ首のクマが口々に言う。するとどうしたことだろう。徐々にクマの様子がおかしくなっていく。
「成程…!味な…真似…を」
「ねむ…い…おやすみ……」
「最後に聞かせやがれ…コイツは…どこで…買え……」
その言葉を待ってましたとばかりに、ルーシーはどこからかタブレットを取り出すと、なんらかのホームページをクマに見せつつ、やや食い気味に答えた。
「フフ、気に入ってくれたかな?そちらの商品は我が社のホームページからお取り寄せ可能だ!さあさご自宅へ帰ったらすぐにチェック!」
「なに……アトランティックサーモン味がある……だと……」
そう言ってクマは眠ってしまった。私は助かったらしい。よかった。めでたしめでたし。…ではなく。
「なんで倒さないんですか!?」
「えっ、なんでさも当然のように倒せると思ってるの」
たしかに。普通の人が怪物の類を倒せるはずがない。ヒーロードラマの観すぎだ。でも、あの登場の仕方はどう見てもヒーローのそれでしかないのでは?そう思っても仕方がないと思う。
「じゃあ一体なにをしたんですか…?」
「そりゃあ『よく眠れる』キャンディをプレゼントしてあげたの。いいだろ?大事なお客様だから、傷付けたりこのチャンスを逃したりしたくないわけ」
思えばあのクマは言っていた。眠れないとかなんとかって。それを、解決した?
それはそうとして、「我が社」、「お客様」、「飴」。聞きたいことがたくさんある。
「あ、あなたさっきルーシー・キャンディーって!!」
思わず彼の肩を揺さぶり詰め寄ってしまった。私は我に返り、ポケットから飴の入った小箱を出し、目の前へ突き出した。
「これ、これ!」
お気に入りの飴の箱。それを見て彼は喜色満面に溢れた。
「それ、見た目にも拘ったしなによりちょうどいい酸味で美味いんだよな!俺も大好き。目の付け所が鋭いね、お客様。社長嬉しい」
そうなの!星空みたいなキラキラした見た目がすごくかわいくてお洒落で、これだけでも充分人にオススメしやすいのに味も繊細で、爽やかで甘さと酸味のバランスがとてもいい。宇宙、小宇宙なのだ。私はこれを店頭で見たときからまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。こんな飴を考案した人には感謝と尊敬の念……社長?
「社長ォ!?あなたが!?」
LCとは、大手キャンディメーカー『ルーシー・キャンディー』のことである。
「うん。じゃなきゃこんな名前なわけないでしょ」
というかまず本名だと思わないでしょう。いきなり「私の名前はドナ(以下省略)マク(以下省略)です」と言われても信じられないのと同じだ。
「あなたが社長…」
見た感じは自分とほとんど変わらない歳のように見える。そんな青年が、憧れのメーカーの、社長。
「そ。まだ仕事あるし、俺戻るわ。そうそう、一昨年販売やめちゃったファンシースパイスシリーズね、あれを復刻させようと思うんだ。楽しみにしてて」
「嘘っ!アップルシナモン味とトマトバジル味、大好きだったのになくなっちゃって悲しかったの!!本当に嬉しい!!」
いけない。つい柄にもなく大喜びしてしまった。近年稀に見る大はしゃぎだ。ルーシー社長も目を丸くしている。しばしの間のあと、彼は楽しげに笑い出した。
そして私の手をがっちりと取った。何事か。
「最ッ高にわかってるね!しかし子どもでも今のご時世そこまで喜ばないよ…感動しちゃった。うちでアイデアとか出さない?」
何ですって?
「あ、社会人?どこかで働いてる?」
「えっ、弊社…潰れた」
倒壊したビルを指差し言うと、彼は気まずそうな顔で頷き、拝むポーズをした。
「それじゃその…やっぱりうちで働かない?」
改めての申し出に、
「喜んで!!」
今度はこちらが食い気味に返事をした。
なんと夢が叶ってしまったのだった。
それからの私の日々はとても充実して、不思議なことがたくさんあって、その度にルーシー社長とキャンディが解決して。時に、解決出来なくて。そうして私もアイデアを出したり、出さなかったり。そのアイデアが、状況を大きく変えてしまったりして。そんな感じだけど、それはまた、いずれ。
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