アンジェラ(2)

続きです。まだ続きます。

「お久しぶりです。天使です。覚えておりますか」

 相も変わらずハッキリ、サバサバとした口調で天使は挨拶をした。忘れるはずもない。その姿はあのときと寸分変わらなかった。髪の長さも全く同じ。天使ってやっぱり老けないんだ。だけど、なんだって今更彼女は俺の元にやってきた?心当たりはないわけじゃない、というかある。心当たりしか、ない。
「説明していただきましょうか。どういうつもりだったのかを」
出た。怒っている。二言目に怒られるなんて本当にツイてない。冷や汗出てきた。何か言わないと…だけど、なんにも言葉が浮かばない。俺たちは歩道橋の上にいるけど、下で走る車の走行音が最早聞こえない。…たぶん、悪いのは俺だけど、何で悪いんだ?これの何がいけなかったんだろう。
「……私には、貴方が自殺をしようとしていたように見えました。そのことに関する説明を求めます」
少しも目を逸らすことなく、あの目が俺を見ている。ああ怖い。白状するしかない。頑張れ、俺。
「そう。死のうとしてた。そっから、落ちて」
柵を指差す。そこを乗り越えようと手すりに足を掛けたところで天使と再会した。
「でも、それのなにがいけないんだ?俺が勝手にやろうとしたことだぜ」
天使は表情を変えず、しかと俺を見据えながら言った。
「何がいけないか。明白ですね。あなたには理由がない」
やっぱりだ。この天使には何も隠し事出来ないや。そういうところも苦手だった。彼女の言うとおり、自殺の大した理由なんてなかった。死にたいとも、生きたいとも俺は思っていなかった。ただ、なんとなくだ。命を捨てたくなるほどつらいことがあるでもなく、生にしがみつくほどのなにかもなし。やってみようかな、そんな気持ちで俺はそこから飛び降りようとしてみたんだ。
「そうだよ。理由とかないから。でさ、そっちこそどういうつもりなんだ?今更俺の前になんで現れたの?」
一呼吸置き、天使は力強く言った。あのとき、俺に言ったように。
「なぜ? 私は天使よ。貴方がきちんと天国へ行けるように。残りの人生を、幸せに過ごせるように。私がお力添えするわ」

「それってやっぱり……天使さんずっと俺の傍にいるってことですよね…」
住んでいるアパートに着いたものの、これっぽっちも気が休まらない。天使は俺が玄関に脱ぎ散らかした靴を丁寧に揃えている。マメだな。
「当然でしょう。お祖父様のとき、そうだったはずです。原則、いかなるときも傍にいさせてもらうこととなっておりますわ」
気が滅入る。別の天使だったらよかったのにな。かわいい女の子とか。優しくて、包容力のある……。
「あっ。そういえば、あんた以外の天使って実在するの?」
「勿論。その姿も性格も様々です。貴方がたも絵画で見るような幼子もいますし、老爺、老婆、屈強な男性も、見目麗しい美女も、どちらでもないものも、動物の姿をしたものも存在しますよ」
今度は廊下に散らばった靴下だとか買った靴の入っていた箱なんかを片付けながら天使は答えた。なんだか申し訳無くなってくる。
「わ、悪かったな汚くて…俺もやるから…。へえ、動物の天使もいるの?いいなあ。ふわふわの犬とか…」
「自覚があるのなら次からは気を付けなさい。なるほど、犬がお好きなのですね。確かお祖父様もかつて、犬を飼ってらしたそうです」
しっかり小言も挟みながら、天使はテキパキと掃除を始める。しかしなんというか、こういう会話も出来るんだな、天使。
「そういう天使は動物とか苦手そうなイメージだな」
「そんなことは決して。嫌悪する動植物などありません」
意外だ。しかも嫌いな動物はいないときたか。俺だって蛇とか熊とか、得意でない動物はそこそこいるのに。つい気になって、こんなことを聞いてみた。
「じゃあ、好きな動物って何?」
床を拭いた雑巾を絞りつつ、真面目な顔で天使は答えた。
「キリンさんです」
俺は面食らった。あまりの衝撃にしばしフリーズしてしまった。これは、ボケなのか?ウケ狙いか?ギャップ萌えとか、そういうのに引っ掛けようとしているのか?その手には乗らないぜ。まず、キリン。この人のことだから、もっと強そうで変わった生き物をチョイスしてくると思っていた。それが、キリン。あのキリン。幼女か。想像したくない。動物園で無邪気にキリンを見る天使なんて。
 次に大問題の「さん」だ。俺は耳を疑った。だがどう脳内リピートしてもハッキリと「キリンさん」と言っている。もうわけがわからない。幼女か?媚びてるのか?いやこの人に限ってそんなことは絶対にない。
「さん?」
やっと俺が絞り出せた言葉がそれだ。
「はい。キリンさんは良いです。美しく愛らしい」
また言った。これをいつものポーカーフェイスで言うものだから、こちらはどんな心構えで聞いたらいいものかわからない。
「だから、あの、さんって?」
「失礼。上司に大型動物天使がいるもので。大型動物には敬称を付けているのです」
良かった。メルヘンチックな理由じゃなかった。すごくこの人らしい。というか、上司に大型動物いるのか…。つまりゾウもゾウさんでゴリラもゴリラさんで、シロクマはシロクマさん。なんか、やだな。
 
 俺の落ち着かない様子を見た天使は、
「私が苦手なのは予てより存じております。ですがチェンジは不可なのです。お気の毒ですが」
と言ってきた。チェンジ不可なのは何故だ?聞くと、
「貴方に、私が見えているから。それと、お祖父様に頼まれたのです」
どうやら、これは俺がこの人以外の天使を見たことがないことにも関わる話で、人により見える天使はごく限られているのだとか。俺が見えるのはこの人。天使は己が見える人にしか、関われないそうだ。あとは、じいちゃんが死ぬ間際に天使と一言二言話していたのは「もし孫になにかあればあんたに頼む」といったことだったようだ。
「でも他にどんな天使がいるのかどうしても見てみたいんだけど、どうにかならないの?」
「ならないことはありません」
意外な返答だった。そういうことなら是非見たい。しかし。
「ですが。今の貴方には不可能です」
きっぱりと。あまりにもきっぱり断言されてしまった。そりゃあ、今の今までこの人以外の天使を見たことがないけれど。ではどうすればいいのだろう。
「言ったはずですよ。私は貴方を最終的に、きちんと天国へ送り届けるために尽力すると。それに相応しき魂に、貴方がならなければなりません」
「それってどういうこと?天国って……死ななきゃ他の天使は見れないわけ?」
「いいえ。生きているうちにも、一時的にですが天国へ行くことが出来ます。夢という形でね。それは夢ですが、紛れもない実体験に他なりません」
なるほど。嘘みたいな話だけど、天使が実在している時点でもうほとんど現実味のないことだった。仕組みはわかった。だがもうひとつの問題の方は?
「もうひとつ。貴方は自殺してしまうような方ですからね。それも理由なく。そういった方は残念ながら天国には行けないのです。それになんでしょうこの部屋。魂の汚れが部屋にも現れてるとしか考えられないわ。今まで片付けようなどと考えたこともないわね。天国は清潔なところよ。今の貴方には100%踏み入ることすら叶わない」
天使はこれを一息に、ひどく早口に言い終えた。こわい。これから毎日、これを聞くことになるというのか。気が重いなんてものじゃない。じいちゃん、よく我慢出来たな。だけれど思い出す。死ぬ間際と死んでから、あれほど晴れ晴れとして穏やかだったじいちゃんの顔を。俺もいつか、そんな顔が出来るのだろうか。今はとてもそうは思えない。
「そういうことですので。改めて、よろしくお願いいたします」
「嫌だけど、仕方ないか。少しは手心、加えてね?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?