自分を攻撃してしまう私の話

お久しぶりです。明日書くと言ってから何日もサボってしましました、、。
今日は書きたいことリストにも書いた、自分が自分を攻撃してしまう話を書いていきたいと思います。

私には自分で自分を追い込む癖があります。自分で自分のメンタルを攻撃してしまうのです。例えば、「面接に落ちた」という事実があるとします。この時、何が悪かったのかと考えると思います。「伝え方が悪かったのかな」「ここでの態度が悪かったのかな」など思いつく理由はさまざまだと思いますが、その多くは自分を否定するようなものではないはずです。しかし、私は「こんな経験誰でもしてるから価値がつくわけがない」「そもそも私なんか価値が低いんだ」と変わらない事実や自分自身を否定するような言葉ばかり思いついてしまいます。もともと自己肯定感が低いというからというのも原因ですが、面接落ちが続いてからさらに拍車がかかっているように感じます。

私はこのような考えをする時、私の中には必ず私が4人います。1人は私のメンタルを攻撃する私。2人目はそんなことばかり考える私に「かわいそうだ、やめてあげなよ」と私を思いやる私。3人目は攻撃する私を「いいぞ、いいぞ」「そいつは価値ないんだからそれくらいされて普通なんだ」と焚きつける私。そして、だいたい思いやりのある私は負けてしまい、私は自分が泣くまで自分を落とすような考えを続けてしまいます。そして、4人目の私はそれを傍観して見終わったらこういうのです。「ドラマチックでとてもよかったよ」「かわいそうな私、最高」と。
考えをやめるときはこれ以上すると死にたさが勝ってしまうという恐怖に襲われた時のように思います。

自分の良さや個性に正しさを求めてはいけないんだと思います。「自分がいいと思えば、それでいい。」自分は自分の最大の理解者で無くとも、味方ではいないといけないのだと思います。頭では分かっています。だけど、私はそうしたくてもそうできません。長年自分を否定することを癖としてやってきたからです。まるでリストカットの癖がある人みたいに私は心を刺し続ける癖を持っています。私は、就活という、自分くらいは自分をみとめてあげないといけない状況に混乱しています。心を刺し続けることで自分を律してきたからです。どうすることも出来ず、どんどん自分を否定することしかできなくなっていく自分に恐怖を覚えつつ、止められないのです。

嘘でもいいから、自分に優しくしてあげたい。でも、それをしようとすると自分がとても怠けている人間のように思えます。「価値のない自分」と戦うことを、向き合うことを、認めることを放棄した怠け者の自分。どうしても、自分に価値があるなんて、本気で思えないのです。そもそも価値なんてなくても生きていていいのかもしれません。それでも、存在意義を探してしまうのです。

話はそれましたが、この癖を治す方法は一つしかありません。自分を認めてあげることです。自分を否定してしまったときに、「でもこんな良い所もある」と思い直すことです。今の私はこれをすると自分が怠けているように思えてしまいますが、時間をかけて変わらないといけないと思います。いつか自分のダメな所もいいなと思えるようになれるといいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?