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聖書と古文書

聖書は神様が私たちに宛てた手紙である。
それに対して、古文書は古い文書のことである。
聖書の成立は古い。しかし、古文書のように扱うべきではない。なぜなら、それは現代に生きる私たちにも宛てて届けられている神様のお言葉なのだから。だから、新聞を読むよりも、日めくりカレンダーを見るよりも、今日の運勢のコラムを見るよりも毎日聖書を読んだ方がいい。
そういう意味で、聖書と並列にシュメール文明のなんたらとか、旧約の外典とか偽典を持ち出してくる情報が最近、散見されるが、古文書の類は、単なる考古学的に古い文書ということでしか価値がない。
もちろん、古代の文書であるから、古代に起こった出来事を知る手がかりや考察に値する知見も得られるかもしれない。それは否定しないが、聖書とは見方を変える必要がある。
たとえば死海文書。確かに考古学的には大発見である。しかし、単に古代のある宗教団体の経典でしかない。現代の新興宗教が怪しくて、古代に廃れた宗教が怪しくない、という見方は偏っていると思う。廃れたのは、廃れたなりの理由があるのだ。
少なくとも、聖書にはエッセネ派は出てこない。だから、私たちにはそこまで関係するものでもないのだ。もしも関係することがあるとすれば、聖書写本のバリエーションで、現在よく使われているマソラよりも七十人訳の方に近い、とかについてくらいで、それはまた別の記事に書くことにしたい。

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