2020年正月のお話

みなさんお久しぶりです、tenchanです。
遅くなりましたが2020年、あけましておめでとうございます!今年もたくさんのnoteを挙げていきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします😌


実は私、2020年1月1日。一生忘れられない経験をしました。年が明けた30分後には私は祖父を乗せ、病院に向かって車を運転していたのです。

その前日の大晦日、家族で毎年の如く紅白歌合戦を見ながらおせちを食べていました。途中で祖父と母親とで雪かきに行ったのですが、その後から祖父の調子がおかしくなっていきました。「腰が痛い。」それからいつもより早くに布団へ入った祖父。この時は雪かきで腰をやったのかと家族全員、軽く考えていました。

23時半頃、私は何となく祖父の様子が気になり、声をかけました。すると「気持ち悪い、吐きそうだ」とのことで、すぐにトイレへ。この時、私は何かおかしいと感じました。トイレに付き添い、話を聞いたところ、「腰が痛い、今度はお腹も痛い」。そして、24時を過ぎた頃には、腰の痛さで立ち上がることができなくなってしまいました

祖母と母親から、祖父の意識はしっかりしているので救急車は呼ばないとの意見が出たので、タクシーを呼ぼうとしましたが、どこも通じず。私以外の大人は全員お酒を飲んでいたため、若葉マークの私の運転で、助手席には叔父さん、後部座席に祖父と祖母という形で、連絡した病院へ向かいました。正月の真夜中ということもあり、道路に他の車は見当たらなかったのが幸いでしたね……。

病院に到着した頃には祖父は意識障害を起こしていました。虚空を見つめ、口を半開きにし、「腰が痛い、腰が痛い」と声を上げるだけ。祖父の隣に座っていた祖母にはどうしようもできない様子だったので、助手席のおじさんに「病院から応援呼んできて!」とお願いし、私は車を降りて後部座席の祖父へ必死に声がけを行いました。何度か呼んでいると虚な目が私を捉えたのがわかりました。私は「病院ついたよ、大丈夫だよ、しっかりして!」と肩を触り声をかけることしかできませんでした。

そのあと、病院のスタッフさんが車椅子でなんとか祖父を運んでいき、祖母はそれに付き添って病院に入っていきました。少し放心状態の叔父さんと、私は震える手で車を駐車し、急いで病院の中へ。

8センチ大の動脈瘤破裂していて、とても危ない状況です。」

祖父は祖母とそのまま手術を行うことができる市内の病院へ救急車で転送されることになり、残された叔父さんと私は、車で一足先にその病院へと向かいました。

病院で祖母と合流し、お医者さんの話を聞き、手術前の祖父と話をする機会がありました。その時は意識がはっきりしていて、「頑張れ」との声がけに、「おう」と答えてくれました。

手術が始まり、一旦祖母をその場に残して叔父さんと2人で家に帰りました。3時を過ぎていましたが、家には母親と妹が寝ずに待機していて、水や必要なものを持って全員で病院に戻ることになりました。

そのあと数時間後に手術は無事成功に終わり、祖父の入院生活が始まりました。日に日に元気になっていく祖父。
今ではもう退院し、家で掃除をしたりテレビを見たりとゆったり過ごしています。まだ腰が痛むことがありますが、退院当初は美味しく感じなかったご飯が、少しずつ美味しく感じているそうで、どんどん回復しているなと嬉しく感じています。

ちなみに正月から毎日病院まで運転をした私は、ある意味祖父のお陰で、運転スキルが急上昇しました🚘✨


自分の心の整理も兼ねて、長々と体験談を書かせていただきました。人間元気だと思っててもいつどうなるかわからないなと実感した1日となり、正月からとてつもない経験をしたなと今思い返して感じています。


その当時、数人にしかこの話はしていないのですが、暖かい励ましや慰めの言葉をいただき、その1つ1つにとても支えられました。この場をお借りして感謝申し上げます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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