見出し画像

『碧と海』 連載小説【21】

   ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ

 早瀬の部屋は俺が泊まっている部屋と同じくらいの広さだったが、簡単なキッチンがついていた。
 部屋の鍵とスマホを渡すと、部屋に連れてこられ、もうすぐ仕事が終わるから、と待たされていた。
 しばらくして早瀬は大きなボウルとタッパーを抱えて来た。『レストラン アリゾノ』で貰ったそうだ。そしてその中身を、全部フライパンにぶちまけた。
 炒める手際は良かった。ジューっという音と油の匂いが胃袋を刺激する。そうだ、今日はあんまり食べてないんだった。唯一のカツカレーは半分ぐらいしか食べていない。

「はい、シェフの気まぐれチャーハン」

 ラーメンどんぶりに山盛りになったチャーハンが目の前に置かれる。彩りもよく、具沢山で美味しそうなのだが、ミニトマトがそのまま入っているのはどうかなと思う。他の具材もやや大きめだ。
 向かいに腰を下ろした早瀬が手を合わせて食べ始める。

「あのさ、夕飯奢るって、これのこと?」

 口いっぱいに頬張った早瀬が眉を寄せる。

「そう。手料理、悪い?」

 俺はトマトをよけて口に入れる。

「まぁ、美味いけど」

「当たり前だっての。食材全部、隣と同じだから」

「つうか、隣の残飯でしょ」

「うるさいな」

と、早瀬はテレビに手を伸ばして電源を入れた。画面に水着姿の女性タレントと少し曇った海が写し出される。すぐに映像が切り替わって、祭りとかイベントの紹介が始まる。

「これに『アリゾノ』も出た事がある」

と、早瀬がスプーンで画面を指す。

「この番組?」

「そう、伊豆のローカル情報番組。あ、チャンネル適当に変えていいよ」

「そう言えば、ここってダイビングも出来るんだよね。さっき隆さんに誘われたよ」

「せっかくだし、海行く? ちょうど明後日のダイビングツアーでキャンセルが出たんだ」

「でも、そういうの高いんだろ?」

「手伝ってくれたらタダでいいよ」

「まじで?」

「海パン持ってる?」

「いや、一人で海なんて入ると思わなかったから」

「じゃぁ、俺の貸すよ」

「ダイビングなんて初めてだよ。ライセンスとかいるんじゃないの? スキューバダイビ

ングって」

「へ? 違うよ。お前がするのはシュノーケリング。スキューバダイビングはしない」

「違うのかよ」

「スキューバはさすがにタダじゃ無理。シュノーケリングなら道具は俺のを貸せる。ガイドは無料で俺がしてやる」

「なぁんだ」

「なんだよ。シュノーケリングバカにするなよ」

「違う、そうじゃなくて。シュノーケリングなんて言ってなかったじゃん」

「悪かったな、説明がヘタで。どうせ頭悪いんだよ、俺」

「そういう事じゃない」

「そういう事だろ」

「『Ladybird』の歌、英語で歌ってたじゃん。マザーグースを英語で歌えるって、教養がある証拠だろ」

 ふっ、っと早瀬は鼻で笑う。

「教養ね。そんなん施設で貼付けられたペラペラの教養だよ。俺、ほとんど小学校行ってないからね」

 ふと、早瀬の母親の顔が浮かぶ。客とか、パクられたとか、言ってたな。
 つい黙りこむと、早瀬が口を開く。

「そういう重い話、聞きたくなんかないよな」

「別に、聞きたくないわけじゃない。ただ、話すのが嫌なら……」

「話すのは嫌じゃない。聞くのが嫌なんだろ。面倒くさいから」

 突っかかるような言い方だ。

「面倒くさくはない。話したいんなら話せよ」

「別に話したいわけじゃない。ただお前、哀れむような顔するから、腹が立った」

 哀れむ? そんな顔をしただろうか? したかもしれない。可哀想だな、って思ったかもしれない。

「悪かったよ。でも、哀れんだんじゃなくて、想像したらちょっと辛くなっただけだし」

「はぁ?」

「あのさ、今日、偶然早瀬の母親と会ったんだ」

「え?」

「鍵、取りに行く途中、ファミレスで」

「だからなんだよ」

「早瀬に何かをさせようとしてる。バレたらまたムショ行きだって言ってた。一緒に居た男が、今度の客は報酬の桁が違うって言ってた。何を、何をさせられてるんだよ」

 早瀬はスプーンを空のどんぶりに入れると、コップの水を飲干した。こぼれて顎に伝った水を乱暴に拭う。

「聞いたら引く」

「もう、なんとなく分かってるけどな」

 早瀬は握っているコップを見つめて言う。

「そうか、そうだよ、売ってるんだよ。俺を。男にな」

 早瀬の瞳から、また何かが消えたような気がした。


スキを押すと「2gether」の名言が出るよ!タイBLドラマ「2gether」布教中