見出し画像

ピクシーダスト

 夜。それまでしんとしていた空間が揺らいだ。コンサートが終わったのだ。雪がちらつく今宵の夜は寒く、会場内に密集していた熱気が外気に触れて、白く淡く人々を包んでいた。
 赤いりんごのようなほっぺをしたたくさんの人の中に桜と蓬もいた。人いきれの中、ぶつからないように器用に地団駄を踏んだり両手をぶんぶん振ったりと忙しい。
「もうもう、最高だったね!」
「かっこよかった! てかさ、席すごくなかった!?」
「それ! 前から10列目とかさあもうさあ〜」興奮冷めやらぬといったふうに、2人は顔をくしゃくしゃにしながら余韻を堪能する。
待ちに待ったライブツアーの告知があったのが半年前のこと。
「もうさ、あのアンコールのところがさあ・・・・・・」
「ああも最高だったよね! あとさあのMCのときにさ・・・・・・」
 今日のライブがどれだけ素晴らしかったのか、話が尽きない。桜が話せば蓬がそれに共感し、蓬が語れば桜が頷く。時折歓声をあげながら駅の改札を通り抜けた。

 電車の乗り場に降りる階段の手前で、2人は立ち止まった。桜は1番線から、蓬は5番線から出る電車に乗るため、ここから先は行き先が別れてしまう。
「あー、もっと話したい」
「ほんと、止まらんね」
「桜、電車何時?」
「あと5分。蓬は?」
「あたしもすぐ来そう」
「大学生やったらお茶とかできるのに」
 高校生の2人には、親たちから厳しい門限が課せられている。
「帰ったら話そうよ!LINEする」
 蓬の提案に桜の顔が輝いた。

 蓬と別れ、桜は階段を降りる。階下に見える駅のホームは、ライブ帰りの人で真っ黒だ。1人になると、それまでは一切聞こえてこなかった周りの人の声が桜の耳に飛び込んでくる。
 あの曲よかったね。まさかあれ歌うとは思ってなかったよね。あのアレンジ最高。桜そんな会話を聞きながら、まるで会話に参加しているかのように心の中で頷いた。そうそう、ほんとにあそこは良かったよね。ね、あそこね。まさかあの曲を演奏してくれるとは、私も思わんやった。ひとしきり心の中で周りの人の会話に参加する。
 気が済んだのか、やがて桜はカバンからイヤフォンを取り出した。ほどなくやってきた電車に乗り、扉のそばに寄りかかる。電車に乗れたよと蓬にLINEを送ったあと、スマホをポケットにしまいこんだ。

 イヤフォンから聴こえてくるのは、ついさっき生で聴いた曲の数々だ。目がくらむほどのまばゆい光に照らされたステージ。マイク越しに聞こえる歌声は、いつも聴いている声とは少し違っていた。リズムを刻むドラムの振動が胸に届いて全身に伝わっていく。それは、桜が感じたことのない感覚だった。隣から伝わる蓬の熱までもが、歌声とともに生き生きと頭の中に蘇ってきた。
 だけど、桜の心に残ったのは少し別のことだった。
「きれいやったな・・・・・・」
 ボーカルの彼が走ると、身につけているキラキラ光るオーガンジーのストールが風に揺れた。前から10列目の席からは、それがよく見えた。アンコールではグッズのツアーTシャツにジーンズというシンプルなスタイルだったけど、よく見るとTシャツにはラメの刺繍が施されていた。刺繍のデザインはメンバー一人ひとり違っていて、彼らが動くたびにキラキラ光を放っていた。

 あの衣装、どうやって作るんやろ。あの布どこで買えるんやろ、私だったら青じゃなくて、ピンクにするかも・・・・・・。
 ひらひら羽衣のように、もしくはティンカーベルの妖精の粉のように、光の残像を残しながらステージを舞っていたあの衣装。今日買ったツアーTシャツに、私も刺繍してみたい。桜がそんなことを思ったとき、窓の向こうに大きな看板がよぎった。
 それは桜の住む街から電車で一時間ほど離れた場所にある服飾学校の看板だった。
 満開の桜を笑顔で見上げる若い女性。その向こうに広がる青い空。なぜか目を離せなくなる。

 やがて電車は駅に着く。のろのろと進む群集の間を縫うように、桜は早足で改札に向かった。
 改札を出た瞬間、桜は走り出した。走り出さずにはいられなかった。
頬はまだ上気だっている。このままどこまでも行けそうに、桜は感じていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?