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学校フリースクールを卒業してからの話

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学校やフリースクールを卒業してから、アルバイトして一人暮らしを始める。就職して結婚をする。不登校をしても、学校に行っている他の人と変わらない平凡な生活です。 学校に行ってないこと…
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#元不登校

不登校のはなしのその後〜僕のはなし16〜資格を取る。

不登校当時、学校の勉強をしなくちゃと 何度も勉強をした。 学研のようなものや、参考書など買ったりしてやったが、 長く続かなかった。 やる目標がわからなかった。 今は学ぶことが大好きだ。 仕事で、すごく勉強してますねと言われるが、 自分では全然していないと思っている。 それは僕の中での「勉強」のイメージは 嫌な事を強制的に学ぶ事と刷り込まれたから。 知りたいと思い、学無ことは楽しかった。 点と点がつながり、なるほどって 発見を楽しんでいた。趣味だ。 だから勉強して

不登校のはなしのその後〜僕のはなし15〜不登校をして 今にいかせている事

多様性を受け入れる。 僕は福祉関係の仕事をしているが、 周りのにはそういう人が少なく感じる。 ぼくが不登校になって 家族も僕も死ぬほど苦しんだ。 だから、 他の人が見えないとき 他の人が知らないときに 家族や自分が一生懸命にもがきながら そのとき、あっているのか わからないけど、一番いいと思う 事をしてきた。 他の人達には、 今の問題な部分だけ切り取って、 だめな育て方をされたんだと見えているが 僕はそのとき、そのときに自分達で 一生懸命に考えて育ててきたんだと

不登校のはなしのその後〜僕のはなし14〜僕の価値

僕が仕事を探そうと、一歩踏み出せるのは 小さい頃の環境が良く 周りに良い人がいた事だと思う。 自分のやる事をフォローしてくれる 大人がいたこと 「だめだ!」「バカなことを」など否定される 言葉を投げかける人が少なかったように思う。 勉強や学習よりも大事なもの その子自身を作る、人間の土台。 小さい頃に 自分を守ってくれる人がいた。 自分をわかってくれる人がいた。 そんな大人が一人でもいた。 困った時も何だか知らないけど、大丈夫何とか なりそうな気がしていた。 だか

不登校のはなしのその後〜僕のはなし13〜自立すること

24歳のときは 僕はアルバイトから契約社員になり働いていた。 父が定年退職をして、しばらく経ったとき 急に両親は昔住んでいた家に戻ることに決めた。 ここから昔住んでいた家は新幹線で3時間も離れた場所に ある。 そのときに両親は、僕も一緒に戻るか聞いてくれた。 両親はわかっていたんだと思う。 一緒に来ないことを 僕は仕事も順調で彼女もいたし ここに残ることにしたが 本当は怖かった 生まれ育った家にもどることが そこは不登校が始まった場所。 暗くて絶望の日々を過

不登校のはなしのその後〜僕のはなし11〜学力で困ったこと

学校の勉強をしていなくて、 仕事で困ったことがあった。通信制高校を卒業したが、僕が通った高校は普通の高校の勉強ではなく、 小中学校の復習のようなものだった。僕は結婚するために、 NC旋盤の仕事に転職した。自分はコツコツ地道にやるタイプだと感じ 手に職をつけようと選んだこの仕事。ここでは数学が必要だった。社会に出てもほとんどの勉強は必要ない と思っていたのに・・・製図を見て、サイン・コサイン・タンジェント を使い長さを導きだし機械に打ち込む。僕はサイン・コサイン・タ

不登校のその後のはなし〜僕のはなし10〜学歴について

アルバイトを探すのに学歴で 困ったことはありませんでした。仕事を正社員で探す時には あった方がいいと感じました。僕が正社員で働こうと探す時には ハローワークに行きました。ハローワークで募集している仕事は 高卒以上が多かったです。全然学歴なんか必要ないやんと 思う仕事にも高卒以上というのが多かったです。僕は通信制高校を卒業していたので、 その中から選ぶことが出来ました。ハローワークで探す時は 高卒があった方が選択肢が広がると思います。その中から自分に合いそうな仕事

不登校のはなしのその後 〜僕のはなし9〜働いていて困ること

アルバイトの面接や入ることで 学歴や不登校で困ったことは ほとんどありません。ただバイト先で中学・高校時代の話 になると困ってしまいました。適当に合わせる事が出来そうな時は 話を合わせて、無理そうな時は人を見てフリースクール に行っていたと話していました。周りの反応は、興味を示してくれる人も いましたが「そうなんだ」で終わることが 多かったです。不登校に理解がある、というか 多様な生き方を受け入れてくれる人が たくさんいる職場では働きやすかったです。理解がな