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だから眩しい

 先日、ギターのアドリブ練習動画の投稿目的でインスタを始めました。
今日はインスタを触った所感について話そうと思います。

 まず前提として、SNSは9年ほどTwitterをやっているぐらいで、他のSNSは全くと言っていいほど手は出してきませんでした。中学生の時に友達に誘われてFBのアカウントを作ったことがありましたが、タイムラインに流れてきた生の人間のキラキラとした感情に耐え切れず即効で辞めました。

 僕から見たインスタの雰囲気ですが、まぁFBに似ているなぁという印象です。当然ですが、アニメアイコンはいないですし、TLには絶えず人間の自撮りや、楽しそうに友達と遊んでいるグループ写真、ラーメン屋の店主のような構えをした男性の自己啓発投稿が流れてくる。なんというか「僕たち、私たちは社会的な生産活動を行っています!」という雰囲気をひしひしと感じる。だいたい写真に映っている人たちは笑顔で、この時点で「ああ、僕にはできない顔だなぁ」と卑屈な気持ちになる。
 おすすめのフォロワーを除くと、一人だけ学生時代の友達を見つける。僕の交友関係は基本的に高専時代の人間だけで構成されていて、それ以前にできた友人とは、ほぼ縁が切れています。見つけたその友達は唯一、中学時代の同級生&同じ高専に進学した人でした。まぁ、クラスはずっと違ったんですけど。
 ここである考えが浮かぶ...「フォロワーを辿って行けば同級生の現在が分かるんじゃない?」、同級生のキラキラした現状を知ったときにどれだけの精神的ダメージが来るかを理解はしているはずなのに、愚かな僕はフォロワーを辿って行くことに。
 案の定、同級生のアカウントを見つける。そして、思っていた通りの結果が待ち受けていました。「ああ眩しい、目がつぶれそうだ」、「やめろやめろ、それ以上見るな」、脳内でサイレンが鳴り響くが、もう遅い。
 僕が長年Twitterでアニメアイコンを被り、歪な人格形成を行っていた間、彼らは至極全うに明るい日々を過ごしていた!あまりにも正しい!
 その後もしばらく他人の投稿を漁る。辞めておけばいいのに。どんなに眩しくて、見てしまえば自分の精神が擦り切れていくと解かっていても街灯の光へ跳んでいく蛾人間なのでしょう、僕は。

 午前零時過ぎの事、気づけば時計の針はとっくに深夜を回っていました。

 おしまい。

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