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慣れないことをした反動

 年が明けてから、noteを始めたりインスタにギターの練習動画を上げたり、慣れないことをした反動がやってきた。気力が死んだ。今かろうじで脳みその生きている回路をつなぎ合わせて文字を打っている。他人より生まれつき保持している活動に必要なエネルギー量が不足している気がしてならない。みんな、朝起きて、飯作って、ゴミ出して、仕事して恋愛して、資産形成して、脱毛して、育児やって、合間に自分の趣味を楽しんだり、そのエネルギーはどこから湧いてくるんだ。
 やりたい事はあるのに気力が湧かない。日中は死んだ目でエクセルをポチポチする仕事をしているが、あれはかなり気力が持ってかれる。難しいことをやっているわけでもないのに、心を鉄やすりでゴリゴリ削られていく気がする。僕がもし拷問官で「犯罪者を自白させるためだったら、どんな手を使っても良い」と上司から指示されたら、犯罪者を部屋に閉じ込めて毎日八時間エクセルを触り続けさせて精神を壊して、自白させる。俺がなりたかったエンジニアって本当にこれでいいんだっピ?転職したいが、勉強する気力もなかなか湧かない。今の仕事はどう考えてもキャリアに繋がらない。学生の頃は勉強していたのに、あのやる気は何処へ行ったのか。こうやって文句を並べているが、結局無気力を言い訳にして行動しない自分が悪いのです。「自分が悪いのです」って言うの凄く卑怯な感じしますね。先んじて自ら非を認めることで、他人から自分の怠惰な態度を指摘された時の精神的ダメージを減らそうという魂胆が透けて見える。なんて恥ずかしい。そもそも「自分が悪い」と本気で思っている人間は行動で示しているはず。僕はこうして中身のない薄っぺらい反省しかできない。
 漠然とした不安と無気力感だけが無限に湧いてくる、社会人になってから一番学習したことと言えば、この無気力感だ。人間って「無気力」も学習するらしいです。前に読んだ本に書いてあった。賢いね♪。ここまでに書いた字数が400文字を超えた、だいたい原稿用紙一枚分。小中学生の頃は読書感想文を書くのが厭で仕方なく、授業で感想文を書く時は毎回授業の終わりになっても一行も書けていなかった。今は不思議とこうして文章を書けているから凄い!褒めて!なんて思ったが、小中学生が当たり前にできていることをこの年までできなかったのだから、褒められる筋合いは無いか。思えば、小中学生の頃に人が書いた感想文なんて読んだことが無い。だいたいの子は恥ずかしがって読ませてくれない。そりゃそうだ、感想文ってどうしても自分語りが含まれちゃうもん。自分語りって恥ずかしいんです。怖いんです、読んだ人間に「なんだこいつ?何考えてんだ」って思われるのが。
 ここまで読んだ人は「気力が死んだと冒頭で言っている癖に、文字は打てているじゃん」と思ったでしょう。その理由は、こうやってどこかに考えていることを出力しないと、布団に入った後、脳内で思考がリフレインしてしまい寝れなくなるからです。いや、嘘。それっぽい理由を今適当に考えた。漫画とかアニメ、ゲーム、音楽の感想を書くのとは違って、今はこのnoteに自分の思考を出力しているだけだから脳にストレスが掛からないんです。だから、気力が死んだ状態でも文字が打てるんです。
 ここまでに書いた字数が1000文字を超えた、だいたい原稿用紙二枚分。あの時出せなかった読書感想文の代わりに、このnoteを印刷して国語の先生に提出しに行こう。

おわり。

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