はじめて死を意識した瞬間

みなさまが人生で一番はじめに死を意識したのはいつですか。

私の記憶のなかで最もはじめての記憶は、小学校1年生のころです。
親戚が事故で亡くなり、知らせをうけて急いで家族全員で遠い場所に駆け付けました。
はじめてのまっくらな夜間救急、はじめてのご遺体、はじめてのお葬式、
はじめてのむせるくらいたくさんの百合の花、はじめての近くで見たお坊さん、そして、はじめての大好きな母がこれでもかと泣いている姿。
そのとき、はじめて死を意識しました。


卒論で死生観の形成について調べた際、死生観の形成は、生や死にかかわるイベントの有無や、それを深める機会があるか、ときにはメディアなどからの影響もあるなど多種多様であり、悲鳴を上げながら調べてまとめた記憶があります。(もしかしたらまとまっていなかったかもしれません。教授ごめんなさい。)

それを踏まえると、私の死生観の形成に大きくかかわっているのは、小学校1年生のころのわたしがみて、かんじたあの日のことになります。
しかし、すこしだけ引っかかっていることがあります。きっとあの頃のわたしは、

死=あの強い母が見たことがないくらい泣いている=とってもかなしいもの

ということだけでなく、
はじめてのたくさんの経験、たくさんの感情、たくさんの景色、におい、音、といった崇高な雰囲気からどこか、

死=美しいもの

でした。

今考えると、正しい反応なのか、少しずれているのかはわかりません。
死について興味がでましたが、日本人の特徴らしく、「死についての話題を避ける」家庭ではあったので、あまり深めることなく成長しました。

成長するにつれて、大好きな愛猫の死、作品の中での死、職業柄目の当たりにする死、様々な死にあってきました。様々な死があることを知りました。色々な生がある一方、色々な死があります。正解や不正解はないですが、その人、その家族にとって好ましい形があるもの事実です。死についてしっかりと考えておくこと、予測しておくことはとても重要であることを日々感じています。
そのため怖くてもいいので、それぞれが持つ死生観について、知っておくことも大切だと思います。

そんななかでやはりわたしにとっての原点はあの日、あの場所でかんじとったものなのです。かなしいものでもあり、うつくしいものなのだと、
一生抱えていきます。


みなさまが人生で一番はじめに死を意識したのはいつですか。

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