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寄付という行為が持つ私なりの意味
連日のアフガニスタン情勢にまつわるニュースを見て、特に女性の教育の機会や人権の毀損が加速していくことに、同じ女性として心を痛めている。
アメリカに発つ飛行機にしがみつく人々を写した映像は衝撃だった。政治と社会情勢によって、私と同じ時間を生きる人々の人生が奪われている。
日々ニュースを目で追う中で最も胸の奥がつかえる感覚に陥ったニュースは、報道の為にアフガニスタンに駐留していたドイツ人ジャーナリストの家族が殺害されたニュースだ。
志を持ってアフガニスタンを報道する為に現地に滞在することを選んだジャーナリストが、敵と見なされて、結果的に家族が殺害されるという痛ましい事件。
そのニュースを通して2つ気づきがあった。
1. 報道の自由は世界の共通認識と錯覚していた
政治によって正しい情報が届かなくなることで結果的に市井の人々の存在が薄まり、孤立し、生命や人権が脅かされていくことは容易に想像できる。
2.無償のニュースを漫然と受け取ることへの羞恥心
西欧の政治に翻弄されてきたアフガニスタンで「今何が起きているのか」を知る術を、私は当たり前に持っている。インターネットは数多のニュースが無料だ。もちろん企業がメディアに莫大な広告費を出しているが、私は一銭の支払っていない。身銭を切らないで情報を得ることに、自分はあまりにも慣れ過ぎていると感じた。
今回、心を痛めているだけでは世界は変わらないと感じたので、UNHCRユーエヌエイチシーアール(国連難民高等弁務官事務所)に寄付した。
少しでもアフガニスタンの人々が不安のない日々を過ごせるように、継続して報道を直視したいし、さらに情勢を追うことで、また行動を起こしたいと感じる衝動も発生するだろうから、その時も寄付したいと思う。
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