もんてすキュッと⑫

 ――秋のJR鎌倉駅は、すこぶる混んでいる。紅葉がきれいだからか? いやいや、国民の頭が、少し悪くなる時期だからだ。知能指数が牛に近づいて、赤いものを見たら興奮せざるを得なくなるのだ! だから、紅葉がきれいな――建長寺は特に、凄く混む。冬の建長寺を見よ! 地面で寝ても怒られない気がする。
 午前九時――だというのに、駅前はイチャイチャカップルのぐちゃぐちゃで、めちゃめちゃになっていた。その真ん中に一人――寂しい人が立っている。サリだ。彼女は――いつも寂しい人間だった。一人で鎌倉駅にやってきて、つったってるだけ。かわいそうに――私は遠目から彼女を眺めた。
「にしても、さっきから腕時計をチラチラと見て――誰か待ってるのかしら」私は、田中さんに話しかけた。
「紫芋アイスクリームが売ってたよ~」田中さんは、既に小町通りを一周していた。手には、大仏を嬉しそうに抱えている。
「……私たち、ここに何しに来たのだろう……」
 私は、サリをじっと観察した。私はなぜここに来たのか。彼女を見れば、もしかしたら分かるかもしれない。サリは、ときどき、イライラしたように頭を掻いたり、足でコツコツと地面を叩いたりしていた。背伸びをしては、改札の前を行ったり来たり。すごく退屈そうで、おもしろい。
 ときおり、彼女は執拗にスマートフォンをいじくりまわしていた。ときどき、そのタイミングで私のスマートフォンの着信音――トゥテトゥチェツテテン――も鳴ったが、しかし、彼女の観察が楽しいので無視した。――誰かしら、こんな朝早くに電話をかけてくるなんて。
「とはいえ、一人寂しくイライラしている人を見るのは、とても楽しいわね……」
 気分が乗ってきた。私は、田中さんからモナカを奪って、口にほうり込んだ。うまい。さくさくっとした生地の中に、ボリュームのある粒あん。ムチャムチャと噛んだ後に残る、この皮の食感が良いのよね……。――サリは相変わらず、イライラしていた。
 ――突然。彼女はハッと思いついたように天を見上げた。何かを叫んでいる。試しに、アフレコをしてみよう。そうか、そうだったんだ! ――彼女は両手を頭にやって、絶望した表情で呟いた。なんで私は律儀に、ずっと待ってるんだ。待ってるだけじゃ、待ち人なんてくるはずがない! 彼女は、こめかみを指で押さえて考え始めた。恋人を作るにはどうしたらいい? まずは、かわいくならなきゃダメ? あでもどうしよう、彼の好みがB専だったら! うーん、私ってちょっとかわいいからまずいかも。わざと黒っぽいファンデとかつけてみる? 肌の色が暗くなればそれだけブスに見えるもんね。よし――それでいこう。彼女は決心したように、前方に歩き始めた。絶対に、クリスマスまでには彼氏をゲットしてやるんだから!
 サリはずんずんとこちらに向かってきた。どうしたんだ? あれ、こっちに気付いてるのかしら? サリの目は、真っすぐこちらを見ている。私は、彼氏じゃないぞ! ――もしかして、私に用があるのか? 
 理解不能なできごとに直面して、身体がこわばる私の前に、彼女は怖い顔をして立ちはだかった。そして、拳を握り、グーで私の頭を殴った。
「ちょっ――サリ、いたっ! な、なに?」
「なにじゃないよ! いつまで待たせんの!?」サリの怒号が、小町通り中を駆け巡る。周囲の人が、こちらを見ていた。私は手を振り返した。清き一票をお願いします!
「なに手を振ってんの」サリは依然として怒っている。
「え、サリ、恋人ができるのを願って待っていたんじゃなかったの?」
「は?」サリはキレた。田中さんが、おずおずとサリにモナカを渡す。サリはそれを受け取って、食べ始めた。シャク、モリ――と咀嚼音がサリの口の中から小さく聞こえた。
「君たちをシャク待モリってたシャクんモリシャクのよ」
「え? なんて?」私は聞き返した。
「もう一回拳を食らいたいのかモリ!」語尾。
 よく分からないので、場を整えることにした。
「――ってことで、ようやく三人そろったし、そろそろ旅に出発しましょう」
「なんで君が仕切ってんの」サリが不満を漏らす。
「ねえねえ、ミレイちゃん、サリちゃん。まずは、江ノ島に行きたいなあ」田中さんが人語を喋った。彼女は、鎌倉駅に置いてあったパンフレットを片っ端から入れ始めていた。
「あっ、さんせーい! 私も行きたかったんだよね、江ノ島。……ミレイは?」
「フッ――あなたたちがそこまで言うなら――仕方ないわね」
「嬉しそうだね……」サリは、やれやれと言った様子でため息をついた。

 江ノ島――ということは、江ノ電に乗れば良さそうだ。江ノ電は、JRとは別の口になっていて、この小町通りがある方面の反対側に位置していた。江ノ電は、相模湾沿いに走っていて、乗っている間も海が一望できる素敵な路線である。それに――
「江ノ電は、レトロな雰囲気があって、趣深いのよね……」
「詳しいね、ミレイ……」
「驚くなかれ、鎌倉高校駅前は、あの有名なバスケ漫画『スラムダンク』の聖地になっていて、特に、その近くにある踏切のところから一望できる海は、殊更にきれいなのよ。インスタ映えするからって、いつもバカそうな高校生がアリのように湧いているわ」
「ええっ! いくっきゃないじゃん! 写真撮りたい!」サリが”インスタ映え”に食いついた。なるほど、そういえばこいつ、インスタ女子だったっけ。
 
 ――切符を購入し、改札をくぐって、駅のホームで電車を待った。しかし鎌倉は、本当にのんびりとした場所だ。観光名所は点々としていたが、実は、混んでいるのは小町通りと鶴岡八幡宮の前だけで、少し外れに行けば――例えば源頼朝の墓などに行けば――閑散としている。寺巡りをするならば、そういう場所を見つけて、マイ寺あるいはマイ神社を見つけるのもいいかもしれない。ちなみに私のマイ寺は稲荷山の浄明寺だ。あそこはええぞ。人っ子一人いない。周りに美味しいパン屋さんもあるからおすすめだ。なのに、枯山水なども見ることができる贅沢な寺である。
「ミレイ、さっきからグーグルマップ眺めて、なにニヤニヤしてるの」サリが聞いてきた。
「支持率あげたい」
「確かにねえ――そういえば田中さんは、昨日ずっとミレイの家に泊まってたんだよね?」
「うん、そうだよ~」田中さんは海の水を飲んでいた。
「大丈夫だったの?」
「へ? 何が?」田中さんは首をかしげる。耳の穴から、星の砂がこぼれ落ちた。
「いや――襲撃とかあったんでしょ」
「あー、ずっと広辞苑読んでたから大丈夫だったよ~」
「そ、そう――」
 曖昧に相槌すると、サリは、悲しい表情をして本を読み始めた。どうやら対話を諦めたらしい。しかし――いったい何を読んでいるんだ? フランス語のタイトルだ―― ジャクエ? ラカン――『エクリッツ』?
「ジャック・ラカンの『エクリ』よ……これ読んでると、よく分からないけど、心が静まるの……今日もって来ててよかった……」サリの心は意気消沈していた。なんだか、かわいそうに思えた。
「ねえ、その本には一体何が書いてるの?」私は聞いてみた。
「見る……?」
 そう言って、サリは『エクリ』のページを見せてきた。《盗まれた手紙》についてのゼミナールらしい。よう分からん。なんで盗まれた手紙について語らなきゃいけないんだろう? どうせなら、盗んできたお金で旅すればいいのに……。
「それはね――人は何かを探しているとき……盲目になるってことなんだよ……」サリは、虚空を見つめていた。
「へええ……」
 私はドン引きした。サリは、ときどきこういうモードになるのだ。こう、得体のしれない、人間じゃない何かになったような……若干怖い。

 それはさておき、電車が向こうからやってきた。若干見栄えがきれいにはなったものの、相変わらず古いタイプの機構が使われているのか、他の路線に比べて、音が古典的で少しうるさい。が――たまらなくそれがよかった。神奈川県知事選挙になった暁には、神奈川県中の全路線を江ノ電にしたい。私はメモを開き、マニフェストに加えた。
「サリちゃん、電車が来たよ。あ、これ、鳩サブレー」田中さんが言った。
「ありがと」バリリィ――サリは鳩の頭を食らった。「これ、おいしいね……」
「元気出しなさいよ、サリ!」私も言った。「旅はこれからなのよ!」
「そ……そうね!」
 そう言って、サリは一番乗りで電車に飛び乗った。すぐさまスマートフォンとセルカ棒を取りだし、嬉しそうにして、車内やら、窓の外の風景やらを写真に収めだす。よかった――どうやらいつものサリに戻ったみたいだ。
「三人で撮ろう! 旅の記念に!」サリはこちらを向いて、私の肩を掴んで引っ張る。私は田中さんとサリに挟まれた。
「え、ちょ」
「わーい!」
 三人で頬を寄せ合って、小さいスマートフォンの画面の中に顔を収める。サリが、セルカ棒のスイッチを押した。カシャ――と車内に音が響く。すると車掌が、撮り終わりましたか――とアナウンス越しに聞いてきた。私たちは「ありがとうございます!」と声を揃えて、座席に一列に座った。

 窓の外の風景が、音を立てて動き始めた。とうとう旅が始まったのだった。

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