堕天使ヨハネについての論文

この話は、ラブライブ!サンシャイン!!に登場する津島善子ちゃんこと堕天使ヨハネについて私の宗教観から真剣に考察する話です。
純粋に中二病でからかわれる津島善子ちゃんが好きな方は読まない方がよいかもしれません。また、アニメの善子について論じさせていただきます。

はじめに

あなたは、津島善子のことを知っているだろうか。この記事を読んでいるということは知っているだろう。細かい設定は割愛させていただくが、彼女は一般的に言うところの中二病を患っている。
自身のことを天使だと言い、運のない自分のことを、神が才能に嫉妬しているのだと解釈して堕天使ヨハネを名乗っている。知らない人が見れば既におかしな人間であることが分かるだろう。
しかし私は、彼女を中二病だと一言で片づけるのは極めて浅はかであると考察した。そこでここに、堕天使ヨハネ論を展開しようと思う。

天使ヨハネと人間の善子

まず前提として、彼女は天使だ。美貌や可愛らしさ、愛しさなんて観点ではない。彼女は天使を自称し、また堕天使と名乗っている。故に、彼女は天使である。人間であるあなたが、このことに納得できないのならばこの記事を読むことはやめておいた方が無難だろう。
さて、早速の試練を乗り越えたが、まだまだぶっ飛んだ理論は展開される。善子はヨハネではない。確かにヨハネは善子ではあるが、善子とヨハネは別である。また、堕天使ヨハネと天使ヨハネも別である。難しい話も、これ以上”中二病”な話を展開してもついてこれないのでかみ砕いて説明するが、ヨハネは善子の肉体に共存する天使の魂であり、善子は生まれながらに存在する人間としての善子であると推測できる。堕天使ヨハネについては後述する。
もちろん、こんな理論は公式設定には一切記載されていないため、人間であるあなたは、私の妄言であると一蹴する権利がある。あなたの好きなようにすれば良い。
だが言わせてもらうが、神を内包する人間は存在する
これを面白半分で読んでも構わないし、堕天使ヨハネと同じように中二病だと笑っても構わない。私は否定も拒絶もしない。

堕天使ヨハネ概論

上で述べたように、ヨハネは天使で、宿す善子は影響こそ受けているが人間である。ここでは、その様子が見てとれるシーンをアニメから上げようと思う。また、アニメ準拠版コミック、G’s、スクールアイドルダイアリー、スクフェス、スクスタ、ドラマCD、幻日のヨハネは考察の対象には含まないものとする。

まず彼女、ヨハネが天使である理由として、彼女自身が名乗っている通りである。幼稚園の頃から、自身が天使であり、いつか羽が生えて天界に帰ると発言している。
これを否定する意味は無いだろう。これを笑う人間は正しく人間であると言える。どうか人間のままでいて欲しい。
また、無慈悲ではあるがこれは一部違うと言える。羽が生えて天界に帰った神や使徒は過去存在せず、全ては死によるものである。天才の早死にと関連して考えればわかりやすいだろうか。死は生の否定ではないことを知っておかなければこの話は分からないだろう。また、もちろん救済でもない。

他には、ヨハネになるとストッパーが無くなる、という点もヨハネが天使である根拠となるだろう。己の「好き」を伝えることに歯止めが無いことは、前回の偉大なる優木せつ菜と同じことだ。否定と拒絶を見ないことは神族に見られる特徴である。もっとも、善子はこのことを好んではいないようだった。最後では善子もヨハネを認め、高尚な人間として共存しているようだ。
ちなみに、彼女が天使であるという証明に際してはこれ以外にほとんど根拠は無い。強いて上げるならば、口に出す否定に対して曇りを見せる点(一期6話OP明け)である。神族に否定の概念は存在しないため、言い淀んだと考えられる。

津島善子が人間である理由として、ヨハネを否定し、人間としての道を選択した点が挙げられる。天使を否定し、ヨハネを拒絶した善子は明らかな人間である。あそこまで芸術的な否定と拒絶は他に類を見ないだろう。
他、善子はほとんどの面で乗り気ではない。驚くほど人間である。
注目しながら見ると少し面白いだろう。

もっとも、天使ヨハネではなく、堕天使ヨハネとなったのは否定と拒絶からである。

堕天使ヨハネの誕生

堕天使とはどのように誕生するか?
それは、天使が人間の感情に浸食され、否定と拒絶の力に飲み込まれたときである。堕天使は人間と同じように否定と拒絶を掲げ、黒に染まる。それが、天使の象徴である白い羽根を黒く染め下とす。これが堕天使の誕生である。
白い羽根を掲げ天使を名乗っていた幼稚園時代のヨハネは、中学時代には堕天使ヨハネと名乗っていた。先に言っておくがヨハネと堕天使ヨハネは別人である。善子が堕天使ヨハネであることを先に理解していないと困惑するだろう。
花丸は、善子が堕天使となった理由について以下のように述べている。

マル、分かる気がします。ずっと、普通だったんだと思うんです。私たちと同じで、あまり目立たなくて。
そういう時、思いませんか?これが、本当の自分なのかなぁ、って。
もともとは、天使みたいにキラキラしてて、何かのはずみに、こうなっちゃってるんじゃないかって。

これは虹ヶ咲で表現されている桜坂しずくのように、他者と違うことを否定され、圧迫されて普通となった故の暴走か、それとも善子がヨハネの影響を中途半端に受け堕天使を演じているのかは、当たり前だが定かではない。

ただ、この花丸の想いは少し言葉が足りず、実際にアニメを見ていると何を言っているのか全く分からないだろう。この詳細は、最後の『堕天使ヨハネ論』にて記載する。

Aqoursの神族

少し話が逸れるが、高海千歌は人間である。善子、もとい堕天使ヨハネを受け入れ、μ'sに倣い全てを受け入れた千歌であるが、私の解釈では彼女は人間である。なぜなら、彼女は彼女自身と内浦を否定してきたからだ。自分には何もない、と不安になるのは人間によくある事象である。また、奇跡を信じ頼るのも人間の特徴である。それが人間の輝きであるが故に。
ただし、一期12話にて、みんなを認め、かつて否定していた自己を許容したところで、天使に認められ、白い羽根を手に入れた。彼女は人間よりも一歩、高尚な存在となったことがわかるだろう。
他の神族としては、読書家として神論を持っている花丸と、否定と拒絶を己に抱え込み人間との葛藤にあった曜も神族であると推測できる。善子と同じく天才である点も真に人間より上位の存在であると読める。
三年生組は全員人間である。人間としての美徳を突き詰めた三年生組の物語も非常に面白いと私は思っている。

また、梨子も犬嫌いを克服してからは上位の存在になったと言える。それまでは文句の多い人間だったのが、それからは『運命』を信じ、天使に認められた千歌に倣い神に近づいていると見れる。
特に神族は、定められた『運命』を見て絶対の幸せを歩むことが特徴として挙げられるため、ハッキリ言って脈絡もなく露骨に運命感じちゃった梨子はイタイ人にしか見えなかっただろう。

堕天使ヨハネ論

ここまで真面目に読んだあなたは素晴らしい人間だ。もしくは、既に人間より上位の存在かもしれない。
さて、紆余曲折あったがいい加減に核となる話をしようと思う。

私は、人間にはこの堕天使ヨハネ論を大事にして欲しいと思っている。
私の言葉を伝える前に、堕天使を拒絶した善子にかけた千歌の名言を貼っておこう。

自分が好きならそれでいいんだよ! いいんだよ、そのまんまで!!
ステージの上で、自分の好きを迷わずに見せることなんだよ!

ステージ(人生)と読めば何となく励ましの言葉になるだろう。
だが表現したいのは、これであり、これではない。ただこの言葉が刺さる人間もいるだろう。前回の「せつ菜宗教」にて記述した『大好きを叫ぶ』と同じように、世界を大好きで埋めつくすことは非常に高尚なことであり、極めて難しいことである。だが、サンシャイン!!も虹ヶ咲も、表現したい神論は同じであることが読み取れるだろう。ちなみに上の言葉はμ'sを倣っての言葉であるため、μ's、Aqours、虹ヶ咲の三代続いた神論の表現は全て同じであることが読み取れる。ラブライブ!にて表現される神論の深さを読み取れた人間はいるのであろうか。

閑話休題、私が今回伝えたいことは二つある。

簡単な方から話そう。
人間は偽ることを知りすぎた、ということである。
偽りとは、ひとつの否定の形である。あなたは、本当の”あなた”だろうか?
時折、本当の自分が何なのか分からなくなっている人間がいる。自分を偽り、他人から見える自分を気にして、割れた鏡に映る自分を眺める人間は多いだろう。人間は偽ることを知りすぎてしまった。己を否定することに慣れすぎてしまったのだ
”あなた”が”あなた”であるのか、それとも、”あなた”はヨハネであるのか、それとも、その両方であるのか、私にはわからない。しかし、自分自身を見失うことは人間にとっても良いことではないだろう。
なぜ偽る必要があるのか。他人へのウケが良いから、取り込まなければいけないから、生きなければいけないから。人間には様々な理由があるだろう。人間の社会は複雑になっている。共存しなければならなくなっている。
綺麗ごとを言っても伝わらないことは私にはわかっている。だから散々言われている綺麗ごとは、今ここでは言わないでおこう。
私の出す結論はひとつ、「人間は人間であるべき」ということである
人間である善子が、天使となっても堕天使を選んだように、人間は否定と拒絶に塗れた人間であるべきだ。私は、それでも良いと思っている。あなたが人間であるのならば。

そしてもう一つの話。
ここで花丸の想いを再度掘り返そう。

マル、分かる気がします。ずっと、普通だったんだと思うんです。私たちと同じで、あまり目立たなくて。
そういう時、思いませんか?これが、本当の自分なのかなぁ、って。
もともとは、天使みたいにキラキラしてて、何かのはずみに、こうなっちゃってるんじゃないかって。

人間は、もともと全員が天使のようにキラキラした生命であったが、
何かのはずみに否定と拒絶に塗れた「人間」、もとい「堕天使」となってしまったのではないか、という、かなり穿った見方である。読書家の神論はさすがである。
我々、そして人間は全て、もともと神族であったのだ。そして今も、神族である。

この記事を読んでいる人間は、すでに人生の中で取り返しのつかないと思うボーダーまで来ているだろう。
だが思い出してほしい、君はかつて天使だった。そして今はどうだろう。
君の羽根は黒く濁り、汚れ、そして朽ちているだろうか?
今一度、自分自身の羽根を見てみると良いだろう。
まだまだ、君は飛び立つことができるはずだ。君自身の、白い羽根で。
今からだって遅くないとは、そういうことだ。

そして、そんな羽ばたける白き羽根を持つ天使の君にはラブライブ!が最適なアニメである。

だが、中には黒く染まった堕天使もいることだろう。苦しいことに、人間の中で悩みが深い者は特にそうだ。
だが思い出してほしい。君は今も天使だ。
黒く染まったその羽根は、一度堕ちたその翼は、触れる者を傷つけ、他者を拒んだ。しかし、堕天使も天使だ。それを忘れないで欲しい。
そして白き羽根と出会った時、君はまた天使となる。地上で蹲っているのではない。可能性は眠り続ける。

そして、ラブライブ!サンシャイン!!はそんな君を励ますのに最適なアニメである。絶対に見るべし。


また、サンシャイン!!の中で人間から天使として覚醒した人間を挙げておく。
善子はもともと人間であったが、ヨハネに触れ、否定と拒絶を持った天使である堕天使として神論を持った。そして千歌とAqoursと触れ、天使ヨハネを受け入れた。劇場版では本物のヨハネと触れ、天使ヨハネを名乗っている。
千歌は己を否定し環境を否定し、人間として生きていたところ、Aqoursと人間の豊かさに触れて許容を知り、可能性を知り、自分自身を認めることで、天使に認められた。
梨子は人間としての常識と普通に染まり、何の疑問も抱かずに生きていたところ、ヨハネと千歌の神論に触れ、運命を知った。
キッカケさえあれば、人間は天使として再び目覚めることができる。

完全なる余談だが、ヨハネは男性名である。善子ちゃん????????
天使ヨハネと善子が別人であることがこれで分かるだろう。そして、天使ヨハネと、善子が勝手に名乗る堕天使ヨハネが全くの別人であることも察することができる。

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