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映画『浅田家!』を観て思い出したこと

本日10/2(金)公開の映画『浅田家!』を観てきました。実在する写真家・浅田政志氏を主人公とした、実話を基にした映画です。映画公式サイトはこちら

映画『浅田家!』、ハイパー良かった!

率直な感想としては「ハイパー良かったからみんな観て!」ということになるのですが、それだけでは能がないので、もう少しだけ詳しく、ネタバレのないようにご紹介したいと思います。おつきあいください。

まず、先だって"ネタバレのないように"とおことわりしましたが、本作の予告編(トレーラー)を観たかたであれば、もうネタバレもなにもありません。あの予告編がそのまま128分になったような映画です。「意外なオチ」や「驚愕の事実」で唸らせる映画ではなく、丁寧で繊細な演出と、的確なバランスを押さえた各キャストの見事な演技、表現によって作られた作品です。

前半は「写真家・浅田政志の生い立ちと遍歴、写真家として一人前になるまでを描いた伝記的構成」であるのに対し、後半は「東日本大震災を軸として"写真を撮る理由"を模索する展開」になります。

前半は"写真家・浅田政志"の紹介ですので、"運"と"縁"と"家族の助け"だけで、本人がたいしてすごいことやってないように見えるのは仕方ないとして(笑)、さらりと抑えめの演出で、適度にコミカルに各キャラクターを描いていきます。上手い役者さんたちばかりを集めたなという安定さと、監督・中野量太(デビュー作『湯を沸かすほどの熱い愛』は名作)の丁寧な演出で、とても安心して観られます。

後半は「独特の感性で家族写真を撮っていくこと」で写真家として歩き始めた浅田さんが、東日本大震災を目の当たりにし、撮ることの意味を模索していきます。

映画『浅田家!』を観て思い出したこと

後半の、さりげない、しかしとても象徴的なシーンとして「"瓦礫の撤去をする地元の人々や自衛隊の人たち"を撮影するカメラマンたちを、うんざりした冷ややかな目で見る浅田さん」の描写。

私事に転じて恐縮ですが、ボク自身もかなり似た感覚を味わったことがあります。東日本大震災があった年の8月、ボクはそれまで勤めていた会社を(震災とは関係なく)辞め、その機会に気仙沼へ4日間だけ行ったことがありました。

ボクは1998年の8月11日からほぼ毎日、写真を撮っています。撮る機材は、フィルムカメラ、デジタルカメラ、ガラケー、スマホ、一眼レフ、ミラーレスなどそのときどきで変わってきましたが、なにかしらのものは撮ってきました。

ボクが気仙沼を訪れたその4日間は、写真を一枚も撮っていません。カメラは当時使っていたCyber-shotのT77(だったかな?)を持っていったのですが、撮りませんでした。このことを今では、半分は後悔しているし、半分は仕方なかったのだと思っています。

被災地と被災者のことを撮るカメラマンを、何人も目にしました。もちろんプレス関係者もいたと思います。ですが、自分がその場を撮らないことに決めた不甲斐なさへのヤツアタリも込みで、カメラマンという人種が嫌いになりました。

写真を撮る理由。「なぜその写真が撮られなければならなかったのか?」。これは「どんな写真が撮れたのか?」以上に、ボクにとっては大事なことです。

もちろん、凄惨な現場も、そのときの人々のあるがままの営みも、記録として残すことには大いに意義があります。人にはそれぞれ役割があります。できることとできないことがあります。あの時期の気仙沼を撮ることは、ボクの役割ではなかったのだろうし、ボクにはできなかったのだ、ということです。

東京の自宅に戻ったボクは、自宅のありとあらゆる場所を数百枚撮りました。そして実家も、ありとあらゆる場所を撮りました。

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そのことを思い出しました。

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