『Hくんの家』 #2000字のホラー
近所のバス停で駅前行きのバスを待っていると、道路を挟んだ向かいにあるアパートが目に入った。最近完成したばかりだが、ベランダには洗濯物がはためいている。すでに入居者がいるのだろう。その土地は以前、駐車場だった。そしてそのずっと前にはだだっ広い空き地だった。もう四十年も昔の話だ。雑草がほうぼうに生えているだけの、ただの更地。その隅っこに、屋根も外壁も青いトタン張りの平屋が、ポツンと建っていた。
小学校の同級生だったHくんは、そこに家族と暮らしていた。
中学入学を前に彼は引っ越してしまい、それ以来会っていない。夜逃げしたとも、海外に移住したとも伝え聞くが、本当のところはわからない。
僕とHくんは六年間、同じクラスで、ほとんど毎日のように遊んでいた。
放課後、Hくんは僕の家にやってきて、遊ぼうと声をかける。僕らはお祖母ちゃんからお小遣いの百円玉をもらって、駄菓子屋に行く。そこでラムネやガムや飴や麩菓子やらを買って、近くの公園で遊ぶのが定番だった。
当時、この辺は工場や倉庫が建ち並び、大型車両がしょっちゅう通りを走っていた。空気は悪く、喘息持ちの子がたくさんいた。住民の出入りも頻繁で、空き家も空き地もあちこちにあった。治安は悪く、空き巣から強盗殺人まで起こっていた。子どもはやたらといるのに大人の目は行き届かず、川で溺れる子もいれば、交通事故で亡くなった子もいた。
Hくんも一度、僕の目の前で事故に遭っている。公園を出てすぐの交差点でのことだ。その時、僕らは刑事ドラマの真似をして、ふざけながら歩いていた。僕は赤信号に気づいて止まったが、Hくんはそのままジャンプで横断歩道に飛び込んだ。そこにちょうど自動車が走ってきて、Hくんはベタンと車の側面にぶつかりバタリと倒れた。
車が急ブレーキをかけ止まった。Hくんは、のろのろと起き上がった。幸いにも打ち身と擦り傷ですんだようだった。運転手と何か話すと、ふたりはHくんの家へと行き、しばらくして戻ってきた。運転手は詫びをいれると、そのまま走り去った。子どもの頃は不思議に思ったが、あれは警察沙汰にしない代わりにそれなりの額の治療費を受け取っていたのだろう。Hくんの家というのも、今にして思えば色々と奇妙だった。
トタン張りの家屋は狭苦しく、子ども部屋はまるで物置のようだった。そこにHくん含む五人兄弟が寝起きを共にしていたのだ。居間にはちゃぶ台とテレビがあり、脇にはあまり見慣れない仏壇だか祭壇のようなものがあった。いつ遊びに行っても、その前にはお婆さんが座っていて、手を合わせて何か唱えていた。
一度おやつが出されたが、真っ黒に焦げた手作りの丸いパンだった。Hくんは美味そうにそれを食べていた。僕も手を伸ばしたがHくんに止められた。焦げてるからガンになるよ、と。でも彼は○○様を信心しているから平気なのだそうである。○○様が何かは忘れたが、おそらく家族ぐるみで入信していた宗教の神様だったのだろう。
そのうち両親からは、あの家にあまり遊びに行かないようにと釘を刺された。迷惑だから、というのは立前で、実際はHくんと遊ぶのをこころよく思っていないようだった。
理由はある。彼が僕の家に遊びに来ると、ちょくちょくお金がなくなっていたのだ。ある時など、冷蔵庫の上に置いてあった十万円の入った封筒がまるごと消えていたことがある。それでも人の良いお祖母ちゃんは、僕の数少ない友人だからと、彼が遊びに来るたびに百円玉を渡すのだ。
お祖母ちゃんは「損して得取れ」と何度も言っていた。
やがて小学校を卒業し、中学入学を控えた春休みに事件が起きた。町内で強盗殺人があったのだ。夜間に忍び込んだ犯人は、一家四人を殺害し金品を奪い立ち去った。被害者は、地元で有名な地主だった。その地主の息子はふたつ上の上級生で、僕らも知り合いだった。現場になった彼の家には、Hくんと一緒に遊びに行ったこともある。綺麗な洋風の邸宅で、子ども部屋には当時流行っていたガンプラを飾る棚もあり、綺麗に色を塗られたプラモがいくつも並んでいた。Hくんが物珍しさからか、家の中をあちこち見て回っていたのを覚えている。
そしてHくんの家が建っていたのも、その地主の土地だった。そのせいか、Hくん一家は事件の後、追い出されるように姿を消した。
行き先を誰にも告げずに。
家はすぐに取り壊され、空き地は駐車場になった。
そして今ではアパートになっている。
最近、ニュースで宗教二世や貧困家庭の話題をよく目にする。そのたびに僕はHくんのことを思い出す。今にして思えば、彼の家庭もそういった問題を抱えていたのだろうか。
バスを待つ間、そんなことをぼんやり考えてしまう。
アパートのベランダには洗濯物が並んではためいている。
Hくんも、どこかで、家族と暮らしているのだろうか。
そして今でも、誰かを。
そんなことを。
了