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大人とは長く生きた子どもである

今まで出会った人の中で、心に残ってる人とそのエピソードを書く。
良い人とか悪い人とかの区別はナシ。わたしのつまらなくもウツクシイ人生にともすれば影響をもたらしたかもしれない人について。

小5のときの担任・I先生の話

冷めた小学生

わたしは中学生くらいまでの記憶がほぼない。
5歳くらいの物心ついたときから、マジのマジで心から毎日ひたすら「つまらん」と思いながら生きてきたから。
つまらんなりに何かしら心が動いたことだけは少し覚えているけど、修学旅行や何気ない友人との会話とか本当にほぼ覚えてない。
友だちも全然いなかったし、地元は田舎で遊ぶところもなくひたすら本ばっかり読んでいた。
かなり冷めた子どもだったのは大人へのリスペクトがなかったからだと分析している。親をはじめとしたわたしが接することのできる大人を尊敬したことがほとんどなかった。(尊敬できる大人と出会う機会もなかった)
特に先生という種族は苦手だった。
子どもを子どもとしてしか見てなくて、人として接することをしないから。
こんなことを言うと早くから中二病を患ってしまった痛い子どものようであるが、(もしかするとそうかもしれないが)そんな気持ちをより確かなものにした出来事が小5の頃にあった。
数少ない小学生の頃の記憶である。

ノート落書き事件

授業中に、クラスの委員長的な存在の、しっかり者で可愛い女の子が突然シクシク泣き出した。
その子はちびまる子ちゃんの親友たまちゃんみたいな見た目だったから、とりあえずたまちゃんと呼ぶことにする。
たまちゃんは今思い返しても本当に優等生で控えめで賢く、絶対素敵なご両親に育てられてきたと思う。
授業参観のときたまちゃんのお父さんを見たみんなが「たまちゃんのお父さんかっこいいねー!」って言って、エヘヘって照れてたたまちゃんを覚えている。
なんで覚えているかというと、わたしには父親がいないから、授業参観にお父さんが来て、しかもお父さんがイケメンって言われてる世界線を初めて見て感心したから。

話がそれたけれど、とにかくたまちゃんが授業中シクシク泣き始めた。
ざわつくクラス。なんだなんだとみんながたまちゃんを見る。
たまちゃんは引き出しから出したノートを開いて泣き始めたらしい。
「どうしたの?」と誰かが聞いた、近寄ったその子がノートを見ると大袈裟に「先生ー!」と言った。
I先生は寄って来て、たまちゃんのノートを見た。びっくりした顔でノートを優しく取り上げて、たまちゃんを慰めた。
授業がその後どうなったかは忘れた。
たまちゃんのノートには赤ペンで「お前は1週間後に死ぬ」と書いてあったらしい。

わたしはそのときどう思ったのか正直ハッキリとは覚えていない。
「そんなことをするなんて酷い!」というよりは「そんなに泣くようなことかしら」と感じたように思う。
だって死ぬわけがないんだから。仮に死んだとしてもそれはくだらないノートの落書きのせいではない。
小5と言えば大体11歳くらいだけど、わたしは本当に冷めた子どもだったのでそう思っていた。
クラスの女子はいつもよりたまちゃんの周りに集まって優しくしてあげていたように思うが、当然、わたしは泣いているたまちゃんの近くにも行かなかった。
そこまで仲良くもないのに泣いた人にすぐさま寄っていく女子は「キモい」と本能的に感じていたし、それを冷やかす男子は「バカみたい」と思っていたので席にじっと座っていた。
日常的にこの世の終わりみたいな母親のヒステリーと父親の惰性からくる貧困に振り回されていたわたしは、ノートの落書きくらいでは悲しいと思わない子どもだった。
でもたまちゃんはかっこいいお父さんがいて、多分裕福なお家で生まれてきっと大切に育てられた女の子だから、いきなり汚い手を差し出されてそこに乗ったカエルの死骸を見せつけられるような、そんな意味不明で無礼な悪を目の前にするとショックだったと思う。可哀想。
わたしはそんなふうに感じていたはず。

おはなしのへや

その落書き事件の日の放課後、I先生から呼び出された。
図書室の隣にある「おはなしのへや」という6畳くらいの畳の部屋。
普段は鍵がかかっていて、何のタイミングで使う部屋かわからない部屋。
わたしがその部屋に入ると、空気が張り詰めていてシーンとしてて何だか緊張した。新しい畳の匂いも覚えている。
I先生は例のたまちゃんのノートを持っていた。
それをわたしに見せて「この字、誰のかわかる?」と聞いてきた。
ちゃんと日頃から勉強していることがわかる算数のノートに突如現れる赤ペンで書かれた「お前は1週間後に死ぬ」の文字は異質で奇妙だった。子どもながらに気まずく思った。
「わかりません」
本当にわからなかった。わかるわけがない。
まぁ、強いて言うなら女子の字じゃないっすかね。くらいの感じだった。
I先生は不服そうな感じで「うーん、、。りさこちゃんがたまちゃんの引き出しを触ってたって言ってる子がいるんだよ」と言った。
その瞬間理解したが、I先生はわたしが落書き事件の犯人だと思っていた。
疑っているとかじゃなくて決めつけていた。
正直それ以降のやり取りは覚えていない。
ただ、この人は無根拠に誰かの証言を信じこんで、わたしを犯人だと決めつけている。
しかも相手は大人で先生で、わたしは圧倒的に不利な状況だということを感じて絶望した。
「わたしじゃありません」とか「知らないです」とかそんなことを繰り返し返答して、最終的に「もう帰っていいよ」みたいな感じで帰った。
もう生徒は誰もいないシーンとした廊下をゆっくり歩いて帰った。
本当は駆け出して帰りたい気持ちだったけど、走って帰ると何だか逃げてるみたいで、可能な限り平然とゆっくり歩いた。I先生がそれをみていたかはわからない。

帰り道、I先生がわたしを疑う理由は何だろうと考えた。
わたしは特に問題を起こすような生徒ではなく、大人になった今思い返してみても普通のただ冷めた小学生だったと思う。
誰かと特別仲良くもなく、だからと言って誰かと仲が悪いわけでもない。
当然、たまちゃんとのいざこざはない。というか、たまちゃんは誰ともいざこざのあるような子じゃない。
そうだ、たまちゃんは誰からも嫌われていない。
でもわたしは?
そうか、わたしがたまちゃんに何かしたよう仕立て上げたい人がいるのかも。
もしくはたまちゃんを妬んだ誰かが、何だかいけすかないわたしを利用して憂さ晴らししてみたとか?
でも、だからと言ってその意見を先生が無根拠に信じるってどうなのよ。
本気で心の底からげんなりした。
ついてないなと思い、それは子ども心にショックだった。
信じてもらえないというのは悲しいものだ。

ブチ切れる母

家に帰り、母と妹とご飯を食べているとき、何気ない会話の流れでその日起こった一連のノート事件の話をした。
悲しかったのか辛かったのか笑って欲しかったのかただ聞いて欲しかったのかわからない。でも当時のわたしの話し相手は母か妹しかいなかった。
母は若いとき田舎のヤンキーだったので(マジのスケバン。暴走族の総長と付き合っていた)わたしの話を聞いた瞬間、尾崎豊よろしく、「先生」というその不条理な存在が許せない、バイクを盗んで校舎のガラスを割ってやれとばかりに速攻で学校に電話をかけた。
多分20時近かったと思う。まだI先生学校にいるんだ、とぼんやり思った。
母はヒステリックに怒り散らかし「あなたのやっていることは犯人探しですよね。根拠もなく疑われて、1人呼び出されて、遅くまで尋問みたいなことをされたら子どもはどう思いますか?あなた、警察にでもなったつもりですか?」みたいなことを言っていた。
後で聞けば母もわたしと同じくらいの歳の頃、クラスメイトの傘を盗んだ犯人だと疑われたことがあるらしい。
昭和の体罰イケイケ世代の人なので、根拠もないのに先生からはビンタされたらしい(!)
だから、母も先生という種族は大嫌いのようだった。血は争えない。
母は自分の過去とわたしを重ね、怒り散らかしていた。

さて、その次の日学校でI先生には気まずそうに謝られた。
だけどわたしは「母がキレたから謝っているだけで、わたしを犯人だと思っているんだろうな」と思って居心地が悪く、あんまり覚えていない。

その5〜6年後、高校生になったわたしはショッピングモールでI先生を見かけた。1人みたいだったので「I先生!」と声をかけた。
そうしたら「?」みたいな顔をされた。
「松岡です!」と言うと「あぁ〜。元気?」みたいに愛想笑いしてくれたような気がする。特に会話は弾まなかった。
担任をしてもらってから5年以上経っているし、先生もプライベートだしわたしと話す義理なんてないけど、先生との出来事はわたしにとってはまぁまぁ大きなターニングポイントだったというのにアッサリと久しぶりの再会は終わった。

大人とは長く生きた子どもである

28歳になってふと思い出したI先生。
当時の先生は、多分今のわたしと同じくらいの歳だったんじゃないだろうか。先生は一生懸命仕事していただろうし、別に恨みもない。
生きていると不意に誰かから悪意を向けられて信用してもらえないことがあるということを学んだ出来事。
信用されないことは普通にショックだった。
お母さんは怒ってくれたけどそれがわたしのためだったのかは微妙。
ノートに落書きしてそれをわたしのせいにした人が誰かはわからない。
「先生」は子どもを教え諭し導く職業だけど、実際は安い給料で時間外労働も厭わず、形骸化したルールに縛られながら子どもだけでなくヤバい親も相手にしないといけなくて、自分の思い描く理想と実際のギャップを日々感じないといけない。過酷だなと思う。
大人って、ただ子どもより長く生きてるだけで、全然本質的じゃなくて、別に必ずしも正しいなんてことはない。
だからわたしは、誰に嫌われてもいいから少なくとも、小5のときの自分にだけは嫌われない大人でいようと思う。


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