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捨てるための日記35_「彩の国シェイクスピア・シリーズ 2nd Vol.1 『ハムレット』を観る」

初めて劇場へ芝居を観に行った。吉田鋼太郎演出、彩の国さいたま芸術劇場での「ハムレット」


みんな早口

初観劇なので、まず登場した人物がすごい早口でしゃべるなと思った。多分シェイクスピアは台詞量が多い? 状況とか全部一気にしゃべる。TVの字幕表示に慣れすぎっちゃっているから、耳からの情報を取得するのにけっこう集中した。吉田鋼太郎さんの低音ボイスは聞き取りやすい。

シェイクスピアはメタが好き?

舞台の上の役者に、役者や芝居のことを語らせるのはシェイクスピアではよくある手法なのかな。「役者(もしくは芝居)というのは~」というのを主人公にしゃべらせるのは面白いと思う。
あと、この時代は女性の役は変声前の少年がやっていたらしいから、ハムレットが女性役者に声変わり云々と話しかける台詞が聞けたのも面白かった。こういう台詞が入っているということは、女性役を演じる人気の少年役者がいたんだろうね。

あと疑問に思ったのが、シェイクスピアの時代の芝居というのは演劇中に回想シーンを入れるという手法がないのかな? あくまで時系列に沿って物語が進んでいくのかしら。過去の出来事を再現したかったら、旅芸人の芝居という劇中劇で対応するのだろうか。

オフィーリアの死

王妃のガートルードが最初にオフィーリアの死を報告するときは事故のような言い方だったけど、墓堀りたちが話す内容はオフィーリアが自殺だったような言い方だった。弔いかたが普通じゃないからだ。
死の前、狂気に陥っているときのオフィーリアの意味ありげな台詞の数々が気になる。
ちなみにこのときの北香那さんのお芝居はすごかった。

前王の亡霊

物語の最初期に、ハムレットの父である前王の亡霊がホレーシオと隊長たちの前に現れる。そしてそのあとハムレットも亡霊を目撃する。声も聞こえる。ここでは確実に3人の目撃者がいて、亡霊の存在を認識している。
ところが、ハムレットが王妃である母の部屋で話すとき、亡霊はハムレットには見えているが王妃には見えていない。
このへんの解釈はどうなっているのだろう。気になった。

関係者が全員死ぬパターン

横溝正史なら身綺麗な人がひとり残ってこれから頑張ってねって感じだけど、オフィーリアは完全にとばっちりで死んでいるし、ノルウェー王子のフォーティンブラスは急にデンマークの王を継いでくれと死に際のハムレットに言われるしで終わりかたが面白かった。
なんか登場人物があんな感じなら、そりゃ全部なにもかもうまくいかないでしょって思ってしまうので当然の悲劇かもしれない。

過去にBSで故蜷川幸雄演出のオールメールシェイクスピアのひとつを視聴していた(作品名は忘れた)。そのときに彩の国さいたま芸術劇場のことやシェイクスピアシリーズのことを知ったのだけど、そのあと自分が埼玉に引越すことになるとは思ってもみなかった。

ずっと地方に住んでいたから劇場で芝居を見るということに縁がなかったけれど、せっかくなので彩の国さいたま芸術劇場で観劇をしようと決めた。シェイクスピアをまともに読んだことはないし「ハムレット」も名言以外はよく知らないので、今回見る「ハムレット」が私のシェイクスピアの基準になったと思う。

あと文庫で「ハムレット」を買うつもり。いくつかの出版社からでているからどれを選べばいいか迷う。翻訳が小田島雄志さんのやつかなあ。フライヤーにクレジットされているし。

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