見出し画像

3社目 F1メディア(現、W TOKYO)

NKKOの頃に大型クライアントでTVCMや屋外広告などを出稿する際、仕入れ先だった博報堂DYの人たちと、NIKKO退職組み3名が創業メンバーとして作ったF1層に特化した会社が3社目のF1メディアだった。
当時、ゼイヴェルという謎の会社と博報堂DYのジョイントベンチャーで、girlswalker.com(GW)というモバイルサイトとTOKYO GIRLS Collection(TGC)のファッションイベントをつくっていた。ミーハー心をくすぐる一見チャラくてワクワクした仕事に就くこととなった。

パーティーピーポーたち

ここでは、カタチのないものをお金にする力と、とにかく生きぬく力を培えたと思う。自分ではコントロールしきれないことが多すぎて、逆に怖いものがなくなった感覚でビジネスライクじゃないことだらけで超新鮮だった。

創業当初のミッションは、GWのマネタイズだったが、数値が嘘ばかりの謎状態。。とりあえず、何となく雰囲気で販売するという当時のインターネット広告から逆行したメニューづくりをするしかなかったり、TGCも金額の根拠もなく、冠協賛はなんとなく1億円です!と言い切ってみたりしていた。売上が見えないとイベントもできない僕らお、イベント概要が見えないと協賛できないという当たり前のことをいうクライアントのせめぎ合い。
ある意味、ビジネス詐欺未遂をしながら辻褄を合わせてさらに継続させるという神技をずっとやっている摩訶不思議なビジネスをしていたように思える。ある意味良い時代だったなと。
そんな中でも、TGC当日は1番アドレナリンがでた。オープニングで、映像からファーストランウェイでモデルが歩く、そして大歓声で2万人が湧く。こんなに一瞬で疲れが吹き飛ぶことはないってほど素晴らしい体験になる。これはクライアントも同様に感じてくれた熱狂だと思う。このためにやっている人も多いと思う。最高だ!この経験は何者にも変え難い。こんな仕事は他にないのかなと思う。

その他でもワクワクは多かった。
Yahoo!Fashionというポータルサイトに新カテゴリをつくって、クリックできないインターネット広告を提供してみたり、何でもファッションイベントに仕立てて、時代を席巻した話題のモデルを起用してお祭りイベントを繰り返しつくっていった。

振り返ると、ファッションが最も盛り上がった時期だったと思う。LVMHやカルティエなどのラグジュアリーブランドとも仕事ができたのも誇らしかった。ここは結果やりたかった新しい文化形成ができたんだと思う。そして、職場のあった西麻布は元気だった。
この頃は、昼頃出社して、夜まで働いて、深夜飲みに行くという毎日。あれはあれで楽しい刺激的な日々だった。あの頃一緒に働いていた人たちはみんななんだかんだどこかで活躍している。生きる力を培った人たちなんだと思う。

そんな中で個人的にハマった仕事がある。
それは、ロイヤリティービジネスだった。
TGCやGWを使っていろんな商品開発をしていた。セブンイレブンと組んで、シュークリームやプリンをつくり、ローソンとアパレルグッズやメーカーとドリンク、お菓子を作ったり、商品開発を通じてロイヤリティでチャリンチャリンと利益をあげていた。
ビジネスモデルはもちろん、自分の手がけた商品がコンビニの一面をジャックして、お客様が買っていくさまをみて、なんか無性にワクワクしたことを覚えている。
なんかこんなことをいっぱい手がけたいと思った。

紆余曲折ありながらも楽しい日々は続いていたが、ある時どうやっても赤字でしょ?という名古屋ドームを使ったTGCイベントをやることになり、そのミッションがとんできたときに大反対をしていた。そんな中、そのイベントの同日に親友の結婚式の幹事依頼があり、そろそろ新しいチャレンジをする頃なのかと感じて退職することを決めた。(キッカケではあったが、自分の成長を考えると、この時で良かったんだと思える。)

最終日

結果的に4年半くらい働いていた。青春時代はいつ?聞かれたらこの頃だったんだなと振り返るとそう言える刺激的なかけがえのない時間だったように思える。社会人で一番愉快な時間だったし、ここで経験できたことがあったから、何があってもなんとかなると特に仕事では思えるようになったに違いない。最高に愉快でぶっ飛んだメンバーに囲まれていたと改めて思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?