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市原市の住宅街にある諏訪神社。静けさの中で引きしまった気持でお参り。そして歴史を学ぶ。

最近わが街市原市の魅力再発見のため、マップ(健康のためのウオーキングマップや、文化財マップなど)を見て街中を歩いています。
身近にも由緒ある寺社が多いのですね。
今回は自分が持っている神社のイメージに近い趣のある諏訪神社(市原市諏訪)です。


市原市の住宅街にある諏訪神社を訪れる。

市原市役所から歩いて10分くらいのところにあります。

歩いていく途中でいくつか看板を発見!
「準備中!」「しばらくお待ちください」などなど。
いつも国分寺台中学校の生徒さんがきれいに花壇を作っているところ。

こんな看板があると次のお花が楽しみです。

花壇に何も植わっていないので、
看板がなかったら、おや?どうしたのだろうと心配してしまいます。
歩いていたらやさしさに巡り合えました。

国分寺通りを「姉崎・馬立(うまたて)」方面に向かい、小湊鉄道をまたぐ太鼓橋の手前に諏訪神社はあります。
車の中から見て、道路沿いに木立が茂ったふしぎな一角があると思っていましたが、
神社とは知りませんでした。

入り口に上下諏訪神社の石柱と神社の縁起が書かれた碑があります。

入り口を進むと重厚な鳥居があり、
木々に囲まれた階段を少し登ります。
途中古木のそばに道祖神が。

結構急な階段。両側の石碑には「三山参拝記念」の文字



高さと奥行がある厳かな神社

社殿の横に説明書きがあり、
大永年間(1521~1528) 信濃の国の村上氏(義清)が武田信玄に敗れた後和睦し、上総の国へ来て、諏訪大明神の分祀を願い出た。天文元年(1532)義清31歳の時の出来事とあります。
16世紀前半のことなのですね。ただ上下諏訪神社が建てられた時代はまだ詳しくは分かっていないようです。
境内は天神台遺跡・諏訪台古墳群の中にあり、市内最古の7000年前の貝塚も発掘され、社殿に向かって右側に諏訪台10号墳、左側に諏訪台9号墳(現在出羽三山の供養塚あり)があるそうです。
(神社の説明書きと、市原市歴史博物館の案内を参考にさせていただきました。)

社殿の左側に9号墳、右側に10号墳があります。

ただの小高い丘だと思って見逃してしまいそうです。
さらに左奥に石造りの鳥居があり住宅街に出られます。
階段が苦手な場合はこちらから入ることができそうです。

永昌寺にも行ってみた。


かなり古い?静かに時を過ごしているかのようです。

社殿の横にある説明書きに永昌寺についても書かれています。
ついでに足を延ばすことに。
諏訪神社から住宅街、小湊鉄道の踏切(遮断機なし)を渡り、
さらに田んぼの中を歩いたりして10分くらいでつきました。
公園のようにフェンスに囲まれた敷地の一角にたどり着き、
とくに永昌寺と書かれたものは見つかりませんでしたが、あまりうろうろすると失礼なので古いお寺とその横にある無縁仏に挨拶をして立ち去りました。

私と神社

子供の頃住んでいた町の神社。夏まつりにはみこしや、屋台が出たのですが、親に禁止されていたのでほとんど行ったことはありません。
神社にもお寺にも縁のない人生を送ってきましたが、(七五三やお宮参りには参らせていただきました)あらためて身近な神社を訪れてみると清らかな気持ちにひたることができます。
次回は近くにある戸隠神社について感想を書いてみたいと思います。
諏訪神社とは少し雰囲気が違っていました。

真夏の早朝にドリンクと虫よけスプレーを持参して訪ねました。
日中はどのような雰囲気なのか、神事はどのように行われている
のかもっと知りたいので涼しくなったらまた行ってみましょう。
秋になったら違った雰囲気を楽しめそうです。

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