七夕🎋の話(1)

noteしてみるかと、最初は愛の話なんて考えつつ、でもやっぱり自分の専門分野である歴史、民俗学の面から話しましょう。
なので七夕と言ってもロマンチックな話でもなんでもないんです。キチンと史料を読み返したりしてないので、頭の中に残ってる残像で話すので正確とは言えないかも知れませんが大筋は間違えてないと思います。

天の川があって、それを挟んで年に1回、七夕の夜に彦星と織姫が逢瀬を楽しむ。そのような観念ではないでしょうか?
昔、和歌山県の高野龍神スカイラインという道路の山頂近く、護摩壇山という標高1,400m近い山があります。奈良の大峰山にも近く、伝承はともかく、この辺りも山伏の修行の場だったのでしょう。それはともかくとして、夜遅くこの辺りを通りかかった時、今まで見たことのないような星の数で、天の川がすごいホンモノの川のように流れていました。そんな中、流れ星が飛んだりして、彦星と織姫のデートを想ったりします。
「乞巧奠(きこうでん)」という説明をよくされるのですが、これは中国から伝来で、七夕の原始です。棚機(たなばた)と言い、機織りや習字といった芸能の上達を祈ったりするものでした。
そこまではよく言われる話となります。

ここからが私の本文になります。
おそらくそのような行事は、朝廷の宮中や貴族の間で行われてきたように思います。
では庶民はどうだったのでしょう。残念なことに庶民の考えや暮らしはいつの時代にも目に見える記録としては残りにくいのです。
今の世のように、竹に短冊つけて書道などの上達を願ったのは江戸時代からのことで、それまでは宮中、貴族の味ものだったのでしょう。
ではそれ以前はどうだったのでしょう?
ここで日本全国に今なお残る習慣や行事から推し量り、推測していくほかありません。そのような伝承を多く集めて立証していくのが民俗学です。私の専門は史学ですが、中々庶民のことは文献では見当たりません。しかしそうも言ってられず、どうだったのでしょう。

(肝心なところで続きにしたいなと思います。ごめんなさい)

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