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東浩紀『ゲンロン戦記』感想。コレは"哲学"の名著じゃないか!?

twitterのフォロイーがオススメしているのを幾度か見かけてきたので、遅ればせながらやっと読んだ。とても素晴らしい内容の本だったので感想をちょっとだけ。
*こういう話に興味がない方はこの文章を読む必要はないデス

東浩紀氏は僕より3つくらい年上で、僕の若い頃、90年代中ば、東浩紀氏はフランス現代思想の若きスターだった。しかし彼の知性の本質は"社会批評家"だとずっと思っていた。

僕は東浩紀氏に2011年くらいにtwitterでブロックされたことは別として、氏が言論人として言っていることはその場その場でコロコロ変わるし、身内と仲違いばかりしているコドモじゃないか、という印象から彼のことが長いこと苦手だった。この本を読んでその印象は間違っていなかったと思われたし、氏(以下あずまん)がその10年で彼がやってきたことを何も知らなかったとも思わされた。

内容を僕なりに要約すると本著『ゲンロン戦記』は非常に知能の高い思想家・哲学者、社会批評家としてのあずまんが、俗社会においての己の無知や未熟をあまたの失敗によってこれでもかと思い知らされる経験を経ることで自分を見つめ直し、「社会人」になっていく過程を描く自伝のような仕上がりとなっている。

2010に創業されたゲンロンという会社組織の経営運営において、あずまんは失敗を繰り返していく。「ぼくが間違っていた」「まだ僕は何もわかっていなかった」という言葉がたくさん出てくる。
その内実を失礼ながら勝手に要約すると、(ある分野において)この時代の思想の先端を行くある種のカリスマのあるインテリが、思いつきやノリ、勢いで「自分みたいな仲間」を集めて起業し、社会批評的な領域で派手なアクションを起こそうとするも、お金まわりのこと、総務や経理、人材の登用といった"実務"つまり会社組織の基盤をあまりにも軽視していたことで何度も組織崩壊の危機に晒されて、都度都度反省するも、良くも悪くもこのひとの本質でもある子供っぽさはマジでなかなか治らない、しかし「ぼく(という界隈では有名な文化人)を求心力とするもの」であった会社の経営を、実務をしっかりこなせる信頼のおける、しかるべき人たちに任すことによって会社組織が安定していく、その10年が事細かに述べられている。
*もちろん視点はあずまんなので、携わった多くの方の見え方はわからない

良くも悪くも子供っぽいと書いたが、本質的に子供のような素直な部分があるからこのような一種の恥を言い尽くせたのだと思うし、この姿勢は「哲学的」であることに繋がっている。

細かな内容については触れないし、興味を持った方には読んでほしいのだが、原発ツアーやカフェでの討議やその先にある雑談、といったゲンロンという母体がリアルの場で作ったコミュニケーション空間、ゆるいつながり、そこで生まれる「誤配」("生身"のコミュニケーションが意図せずに生む人と人の関係性の可能性)というものは、彼が最初に目論んでいた「似たもの同士」を集めるホモソーシャルとは異なるものとなっていった。

人文系学閥や活動体などで見かけるこのホモソーシャルな組織の問題に最初は彼もどっぷり囚われていたが、「社会(会社)を経験する」ことで脱していく。

ぼくたちは言葉でコミュニケーションするしかない。言葉で説得し、議論し、後世に伝えるほかないんだけど、同時にそれでは大切なことはなにも伝わらない。その限界をわかっていないと、無駄な「論争」ばかりすることになる。

P165

ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思考や欲望の等質性に無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです。ひらたくいえば、同じような人間ばかりで集まっていて気持ち悪い

p224

「ぼくみたいなやつ」を集めれば面白いことが出来るんじゃないか、「先端」や「シーン」を勢いで追求する、といういかにも人文学生みたいなノリを(同じような過ちを幾度も経てから)捨て、経営からも離れて信頼できる「ぼくみたいなやつ」じゃない人に任せたほうが、言論にもコミュニケーション空間にも「多様性」が生まれた。そのことを受け容れてやっと「大人」になれたかも、と言っている。
「教祖とお布施」という、今流行のサロンでなく、貨幣とゲンロンの商品を交換する場でありたい、信者とアンチしかいない状況とは一線を画する活動でありたいと。

読んでいて、なんだそれなりにマトモな社会人であればそんな失敗しないだろうに…と思うこともあったけども、まあ"そっち系"知識人枠ではあずまんほどの知名度がありながらこの言わばあたりまえの「社会人としてしっかりすること」に至ったということから、大学人文界隈のしょうもないバトルをやっている人たちは学ぶことはあると思うのだけど、それはあまり期待できない。もっともっと社会を経験しないといけないが、それは無理そうだから。

自分の考えを疑う、疑ってきたことを振り返るこの本は哲学書と言っていいと思う。思索も行動もそこから拡がるものだから。

というわけで、大変知的刺激を受けたし、また人間物語として良い本だと思ったのであった。
あずまん、そろそろブロックを解いてくださいよ!

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