子供に伝えたい戦後75年

こんにちは。
世の中コロナの話しでもちきりですが、もうすぐ戦争が終わって75回目の夏がきます。
75年といえば、10歳で終戦を迎えた人が現在85歳。実際に日本の為に闘ってくれた方達はもう90歳以上になってます。
戦争の事を直接教えてくれる方々が年々少なくなってきますね。

戦争については皆さん歴史の授業やテレビや新聞、最近ではYouTubeなんかでも勉強できます。
色んな角度から様々な事を知る事が出来ますが、知れば知る程『戦争の悲惨さ』、『二度としてはいけない』と言う思いを感じますよね。

今日は吉田裕さんが書いた
『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の真実』
の内容をもとに改めて戦争の真実をお伝えしたいと思います。

1941年12月8日、日本軍によるハワイ真珠湾への先制攻撃から始まったアジア・太平洋戦争は1945年8月15日に終結しました。

亡くなった日本人約310万人。アメリカ人約10万人。
戦争は日本人とアメリカ人のみが戦った、と思ってる人もいると思います。
しかしアジアの方達にも大変な影響を与えました。
中国人の死者1,000万人以上、朝鮮20万人、フィリピン111万人、台湾3万人、マレーシア、シンガポール10万人。
その他ベドナム、インドネシアを合わせて合計1,900万人以上
日本が戦った最大の犠牲者はアジアの民衆であると知る事も大事です。

ところで亡くなった日本人310万人。
内、軍人の死者が230万人です。
その230万人は皆さんが良く知ってる『神風特攻隊』やアメリカ人を中心とした連合軍との戦いの末、非業の死を遂げた。
そう思ってますよね。

しかし、戦いで亡くなった方達は230万人の半分くらい。その他は別の理由で亡くなったのをご存知でしょうか。

その多くが餓死者。
食べる物がなくて亡くなったんです。
戦争中であっても当然食事をしなければなりませんよね。
日本から届ける食糧を含めた物資が1944年以降戦地に届きにくくなりました。
連合軍による攻勢が激しくなり、輸送船が被害を受けたのです。
食べ物がない中で死ぬかもしれない戦いをする事、想像できますか?
フィリピンのルソン島では日本兵通しの食料強奪が頻繁に起こったそうです。
日本の為に戦ってきます!と戦地に向かい餓死してしまうなんて悲惨ですよね。

なんと自殺や他殺もありました。
硫黄島の戦いでは死者の60%は自殺、10%は他殺だったそうです。他殺と言うのは『日本人が日本人を』と言う事です。
戦時中、降参して敵兵に殺されずに捕虜となる事や負傷してる場合の救助は認められてました(ジュネーブ条約)
ところが、当時の日本の指導者は
『生きて捕囚の辱めを受けず』
という戦陣訓を発しました。
つまり『生きて敵国の捕虜になるくらいなら死になさい!』
言葉がありません。
敵兵の攻撃により負傷した兵士が『戦陣訓』通り自らの銃や手榴弾で自殺したのです。
当然、自殺を拒否する方もいました。
その時は上官や命令を受けた同僚により殺されてしまうそうです。
アッツ島では自殺の強要が頻繁に行われ、インパール作戦時には負傷者を発見し、歩けない場合は銃殺。

この状況で私的制裁もありました。
いわゆるイジメです。
古参兵が新兵や老兵に対して行った、憂さ晴らしのような暴行や叱責。
度を越して死にいたらしめてしまったり、精神的苦痛に耐えかねず自殺する兵士もいました。

このように兵士の立場から見た戦争の悲惨さを是非知って貰いたいと思います。

指導者による『作戦至上主義』や『異常な精神論』などの理由が本に書かれてましたが、これにより犠牲になるのは兵士達です。

これは『たった75年前』の話しである事を忘れないで下さい。
そして『8月は戦争を考える月』にしませんか?
特に今年の夏はあまり外出が出来ない特別な夏です。
戦争に関する本を是非手に取ってみて下さい。

ありがとうございました。

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