ハル〜叶わなかった夢の続き~
一人の熱血教師が出会った一人の生徒とそのクラスメートが作り上げていく何にも代えがたい思い出と絆。そんなハルに起こる様々な出来事を描くヒューマンドラマ。
ハル、本名は辻川春絵。彼女はいつも笑顔で周りを明るくするクラスのムードメーカーであった。しかし、そのような性格であるが故の人に気を遣い、我慢してしまう一面もあった。言い換えれば頑張り屋さんだったのかもしれない。人のことを気にかけて、いろんなことに気が付く、とても気前がいい女子生徒であった。みんなに頼りにされ、常にクラスでもリーダー的な存在だった彼女にも、自分ではどうにもできない悩みがあった。それは、持病の心臓疾患であった。学校には申し出があり、体育の授業などでは配慮がなされていたが、友達には必要以上の心配をかけまいと、病気のことは黙っていた。
そんなハルが2年生になったとき、ある一人の人物が彼女の人生を大きく変えた。それは担任の進藤であった。進藤は野球部の顧問をやっており、とても厳しい教師だった。言葉も鋭く、生徒にとって怖い存在でありながらも、生徒たちは進藤の情熱を受け取り、信頼を寄せていた。その生徒思いの熱血漢に心ゆすぶられ、ハルはそれまで考えていた地元で就職するという思いから一転、進藤のような生徒一人一人と本気で向き合うことができる教師になるという夢を描き始めたのだった。しかし、そのことは進藤には恥ずかしくて伝えることはできなかった。
進藤はハルが心臓を患っていたのはもちろん知っていた。何の偶然か、進藤の妻はハルと同じ心臓の疾患を抱えていた。それもあってか、進藤は常にハルに声をかけ気にかけていた。いつもニコニコして元気だったハルが教師を目指しているなんてその当時は話したこともないし、進藤は知る由もなかった。
そんなある時、妻の病状があまり良くなかった進藤は地元に戻ることになった。地元でも教員を続けていた進藤はハルのことだけではなく、1年を残して担任を離れてしまったクラス全員を気遣い、メールや電話で相談に乗ってあげていた。そして、彼らの卒業式には足を運んで、代わりに担任に就いた先生の粋な計らいから最後のホームルームまでやらせてもらった。そこで進藤は次のような話をした。「自らを曲げることなかれ。挑戦をやめるべからず」その言葉に反応したのがハルであった。最後のホームルームが終わると、ハルが一目散に進藤のところへ駆け寄ってきて、「先生、私教師を目指すことにしました。気持ちを曲げず挑戦しますから、いつか一緒に働けたらいいですね。」その時、進藤は遠く離れた地元で働いていたこともあり、まさか一緒に働くなんてことはないだろうと思い、格段深入りはしなかった。「何よりも体は大事にするんだぞ。ハルの強く優しい気持ちは生徒に必ず伝わるから、立派な先生になってくれよ。」生徒の熱い決意表明に自然と涙がこぼれた。それ以降、ハルと連絡は取ったことはなかった。
それから4年後、地元で働いていた進藤の耳に思いもよらぬ連絡が入った。ハルの訃報だった。母親はやはり、ハルの体を心配して、毎晩のように電話で連絡を取っていた。その日も夜の9時ごろまで電話で話し、「しっかりと睡眠はとりなさいよ」という言葉で電話を切ったそうだ。それが、母親とハルとの最後の会話になってしまった。たまたま泊まりに来ていたお付き合いしていた男性がお風呂上がりの脱衣所でドーンという大きな音を聞き、見に行くとハルがそこに倒れていたという。母親との電話を切ったわずか2時間後の出来事であった。
次の日、母親は親戚以外で誰よりも先に進藤にショートメールを入れた。ハルが高校生であった当時、体調のことでよく相談をすることから入れておいた進藤の電話番号はその時まで残っていた。進藤は朝にそのメールに気付いた。そこには「ハルが旅立ちました。病気が彼女の夢を奪い去っていきました。でもハルの夢は遠くで生き続けています」とあった。進藤はハルが持病の心臓疾患で亡くなったという事実しかその時は受け取っていなかった。最後の「でもハルの夢は遠くで生き続けています」の意味は理解していなかった。というよりは起こった事実があまりにも衝撃が大きく、そこまで意識が回っていなかったのだ。
進藤は止めどなく流れる涙を抑えることもせずに母親に電話を掛けた。その時初めてハルの母親から彼女が進藤に憧れて、教師を目指し、両親の気持ちを押し切って県外の大学に進んだことを聞かされる。その時進藤は自分の仕事がこんなにも人の将来に影響を及ぼすのだと再認識する。そして、母親からのメッセージ「でもハルの夢は遠くで生き続けています」の意味をようやくそこで理解した。
実はその当時、思った仕事ができていないと感じていた進藤は教師を辞めて地元で転職しようと考えていたが、この一件をきっかけに夢破れたハルの分まで一生懸命に教師生活を全うすることを決心した。「思った仕事ができていない」は進藤目線であるだけであって、生徒は信頼できる教師を見つめ、何かを学ぼうとしている。ハルの魂を胸に情熱を持って生徒に接している進藤に様々な試練が待っていた。しかし、進藤は目を逸らさず一人一人の生徒に全力でぶつかっていった。
そんなある日、進藤が勤務する学校に一人の新米教師が赴任してきた。人の思いを紡いで奔走していたその先に運命的な出会いを果たした。進藤はその教師に思いもよらぬ事実を告げられた。
その新米教師の名前は倉谷健太。25歳国語科の教員だった。彼は大学在学中にそれまでは考えてもいなかった教員の道を目指すことになる。教員免許を取るために大学を1年留年した青年である。卒業する年に進藤の勤める学校の採用試験を受験するも不採用の通知を受けた。その彼はたまたま2年連続で教員募集をかけていたこの学校にこの年も受験していた。
「進藤先生、倉谷健太と言います。よろしくお願いします。私、昨年もこの学校を受けて不採用でしたが、今年も受けて何とか合格することができました。」
「進藤です。よろしく。2年続けて受けたんだね。地元の方?」
「いえ。地元は岐阜県の竹本市です。」
「じゃあ、大学がこっちとか?」
「いえ。こちらには全く縁も所縁もありません。所縁があるとしたら、進藤先生、あなたがこちらの学校にいらっしゃることです。」
進藤は最初、どういうことかわからなかった。ただ、彼のしっかりとこちらを見つめる強いまなざしに何かを感じた。
「どこかで会ったことある?それとも、誰かの知り合いか何かかな?」
「はい。私はここで先生とご一緒するために、自分を曲げず、挑戦し続けました。ここじゃなければハルの思いは継いでいけないと思い、日々頑張って勉強してきました。そして、今日、晴れて先生とご一緒することとなりました。」
「もしかして君はハルの彼氏?」
「はい。ハルと大学で知り合い、先生の話はよく聞いていました。とにかく先生に刺激を受けて、心から生徒と向き合い、一人一人を大切にしてくれる進藤先生のような先生になるんだって。自分がここまで頑張れているのは先生のおかげだって。でも、そのハルが私の目の前で倒れて、志半ばで夢を奪われ、穏やかな表情の中にも無念さが見て取れたので、私がやってあげられることはないかなと考えて、たくさん私にいい影響を与えてくれたハルの意志を繋いであげることがせめてもの報いかなと思い、遅れてでも教員免許を取って、先生の下で教員になることが私の夢に自然と変わっていきました。」
進藤はしばらく言葉も発することができず、感情を抑えきれず、人目をはばからず泣いた。
「倉谷君。よろしく。君とならハルの夢の続きを叶えてあげられそうな気がするよ。頑張ろう。」
二人は固い握手をしばらく離すことなく、じっと互いを見つめ、最後に深く頷いた。
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