あの世とこの世をつなぐ橋

おしゃべりな古典教室を聴いています。
能の井筒の解説はこの前全4回にかけてやっていたので、同じ再放送かと思いきや、よしもとばななさんの作品に井筒の世界を見るという、何とも面白い試みが繰り広げられていた。

小野花梨さんの気づきというか目のつけどころがいつも新鮮で、木ノ下さんと同じく感心してしまう。
加賀美幸子アナが俳優の小野花梨さん、と言うのもいい。これからは女優という言われ方がなくなるかもしれない。じつにいいことだ。

話は逸れたが、古典教室ですよ。
木ノ下さんも言っていたが、古典=古いものではないのよ。今を生きるわたしたちにも通じるものがある。
橋の話が出てくるけど、あの話を聞いて我が伯母の話を思い出した。亡くなったおじいちゃんが夢に出てきて、橋の上にいる。思わず駆け寄ろうとしたら、穏やかなおじいちゃんがこっちに来るな!と叫んだとか。こっちへ来るな、死んでしまうから。お前は生きろ、というメッセージだったのでは、と伯母は言った。その伯母も亡くなってしまったが、このエピソードを覚えている、瞬時に思い出した時点で私の中で伯母も祖父も死んでいないことになる。
伯母が見た夢なのに、鮮明に思い出せるのだ。おじいちゃんが立っていたであろう橋が。どこか旅したときにふいに出会えるような気すらしてくる、あの橋。
死、というのは車線変更するくらい簡単に隣に横たわっているような気がする。私は生きてるというより、ただ死んでないだけ、というか。
日本の歴史上、いや人類の歴史上、生きてる人より亡くなった人のほうが多いんだもの。あの世とこの世のボーダーラインは思っているより曖昧かもしれないな。

おしゃべりな古典教室すぐ終わっちゃうんだけど、
日曜の夜、ちょっともの悲しくなる夕方に聴くのが好き。午前中もいいけどね。

よしもとばなな、意外に読んだことなかったから読む口実が見つかって嬉しい。興味あることが数珠つなぎになっていく様がいいんだよなぁ。

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