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氷水のこと 〜お風呂上がり、あるいは真夜中の〜

自分がしたことで私が一度でも喜んだり美味しいと言ったら毎日でも再現してくれる健気な男の子がかつてうちにいた。
一番古い記憶はたぶんお風呂上がりの氷水で、私がジンのソーダ割にレモンを絞って飲むためのうすはりのグラスに、ある時氷をパンパンに詰めて水を入れてくれた。
私はお酒が好きで、それ以上に好きな飲み物はいい加減酔ってお風呂に入ったあとに飲むお水で、夏場はそれが冷たければ冷たいほどいいと言ったからだ。
私はお風呂から出てきてすでにそれが小さな四角いテーブルの上にあるのを見て歓喜し、その後彼が私の家に棲みつくようになっても欠かさずに氷水が用意された。

今年に入って2回引っ越しをした。春と夏の終わりに。
一度目は氷水の彼とのより快適な生活のため、2度目は彼の不在のためであった。
秋になり、少しずつ気温が下がるにつれ氷水のない生活にも慣れてきた。
私は、私にとっての氷水のようなものを何もあげられなかったという後悔は、今生きている周りの人に真摯に向き合うことでしか減らすことはできないと思う。
食べられるし夜も寝られるけれど時々夜中に目が覚めて、しばらくはまんじりともしない。
ゾッとするほどなにごともなかったかのように昼は仕事をして休日は掃除洗濯に精を出しているから、この夜中のひとときだけがある意味思い出す時間なのかなと思いながら、肘を立てて上体を起こす。ベッドの脇に置いた分厚いコップから乾いた喉に少しずつ水を流し込む。
驚いたことに、そのコップには氷が入っていた。
寝る前に用意したときたしかに氷は入れなかったし、5時間は経っている。

もう一度、口をつけると小さくなった氷が舌の上に転がり出てきて、不思議なこともあるものだと、昔話の語りのように呟いて、また横になった。

はっきりと目が覚めた今となっては、あれは夢の中の出来事だったのだとわかるけど、言うなれば忌野清志郎のデイドリームビリーバーじゃないけど、ずっと夢を見て今もみてる、まさにそんな感じだなと思いながら今日も会社に行ってきます。


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