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音楽マニアがブライダル音響会社の社長になった!興味津々の(?)自己紹介

はじめまして!私は元歌手志望で、2020年に独立し、ブライダル音響会社の社長になった女性です。今回は私の自己紹介と共に、独立の決断や夢を叶えるまでのストーリーをお伝えします。

私が音楽に夢中になったのは、まだ子供の頃からでした。子どもの頃は歌番組も多く、アイドル歌手などの歌謡曲を聴いて育ちました。歌うことが大好きな父の影響で、毎週日曜の父のお休みの日には、二人でカラオケをして遊ぶのが恒例でした。

小学校高学年になり、少年少女合唱団に所属し、学校の外では楽しく音楽活動をしていましたが、転校先の学校に馴染めず、学校では孤立していました。暗い暗いといじめられ、学校に行くのが辛かったけれど、日曜は大好きな歌を歌える日だったので、それだけを生き甲斐にしていました。

中学に入ると、世はバンドブーム。ロックバンドのフロントマンに憧れて、自分もいつかは輝くステージに立ちたいと思っていました。ある芸能事務所のオーディションに合格し、レッスン生として所属。ここでも毎週日曜にレッスンに通いました。が、なかなかチャンスを掴むことができず、時間ばかりが過ぎていき、日々焦りを感じていました。

18歳の時に音楽学校に入学し、上京。ボイストレーニングに通いながら、音楽理論などを学び、作詞作曲や楽器の演奏にもチャレンジしましたが、理想の音楽活動をするためには時間もお金も足りなかった。ひたすらバイトに明け暮れる日々。ついには体を壊してしまい、働けなくなって、地元に帰ることになりました。

失意のどん底のような日々が続きました。東京で、音楽で成功したい。輝くステージに立ちたい。その夢は叶わなかった。自分には音楽の才能がないことを認めたくなかったのかもしれない。そんな中、甲状腺にがんが見つかりました。22歳でした。検査、入院、手術。いきなり「死」がリアルに自分に迫ってきた。もう怖くて怖くて、生きるとは?死ぬとは?と、真剣に考え、エリザベス・キューブラーロス女史の本を読んでみたり、神に祈ってみたり、人生について考える時間が増えました。

重度のうつ病にもなりました。闘病生活は長く続きました。抗不安剤や抗うつ剤、睡眠薬など、とにかく毎日たくさんの薬を飲んでいました。まさに、薬漬けのような生活。今思えば、あんな状態からよくここまで復活したな、と思うほど、薬によってなんとかメンタルを保ち、その日を乗り越えるような毎日。本当なら楽しくて仕方ないはずの、私の20代は、重い精神の病に蝕まれていました。

30代になり、断薬にも少しずつ成功し、臨床心理士の先生の心理カウンセリングの効果もあり、ほぼ、薬を飲まなくても大丈夫な状態まで心が回復した頃、短時間のアルバイトから社会復帰しました。最初に採用された会社ではうまくいかなかったけれど、その次に採用された会社(某有名キャラクターグッズのストア)での経験が自信になり、社会人として安定した生活が送れるようになりました。

そんな中、ブライダル音響という仕事に出会いました。結婚式での演出や音楽など、音響の力で人々の感動を創り出すことに魅了されました。これが私の人生の転機でした。音響会社でのアルバイトや契約社員としての活動を続け、がむしゃらに仕事に取り組みました。気づけば10年が経っていました。会社員として活動する中で、もっと自分の思うままに仕事をしたい!と考えるようになりました。ブライダル音響の仕事の魅力を伝える活動や、音響オペレーターとしてだけでなく人間的にも魅力のある人材の育成など、自身の理想とする活動をするためには会社員という枠に収まっていては叶えられない夢や目標がありました。

しかし、独立という決断をするまでには迷いと覚悟が必要でした。安定した会社勤めと夢への情熱の間で揺れ動き、悩みました。しかし、一生後悔するよりも失敗してでも夢を追い続ける道を選ぶことを決断しました。

独立後は、まずブライダル音響の市場調査とビジネスプランの立案に取り組みました。競合分析やターゲット層の把握を行い、成功のための戦略を練り上げました。そして、起業資金の調達やオフィスの開設に挑戦しました。共同経営者である夫の協力も大きな力になりました。彼はウェブデザイナーを生業としており、ウェブサイトやチラシを作成してくれたり、オフィスを共同で借りるなど、私の活動をバックアップしてくれました。

最初の顧客獲得は苦労の連続でしたが、地道な努力と情熱を持って営業活動に取り組みました。しかし、活動がこれから本格化するぞ!という時に、世はコロナ禍に…。決まっていた仕事が全て延期や中止になり、プライベートでは乳がんに罹患していることが発覚。Oh…No…何かを得ると何かを失う…という法則なのか…いや、それにしても、なんで今なんだろう…と思うこともありましたが、仕事がなかった時期に入院や手術、放射線治療などをすることができたので、結果的には良かったんだと思うようにしました。その後もホルモン療法を続けていますが、病気の話は別の機会にしたいと思います。

結婚式やパーティーが軒並み延期や中止になる中、オンラインウエディングやライブ配信の仕事を受注するようになり、活動の拠点である大阪だけでなくさまざまな場所にライブ配信のオペレーションや撮影に行きました。地道な営業活動はコロナ禍であっても続けていましたし、お客様の声を大切にし、サービスの質を向上させる努力を怠らないことも重要でした。

また、夢を叶えるためにはネットワーキングと情報収集の重要性も学びました。業界のトッププレイヤーとの関係構築や他業種とのコラボレーションに取り組むことで、さらなる成果を上げることができました。また、自己成長のための勉強と研鑽も欠かせませんでした。

現在は、社長として成長し続けるための課題に取り組んでいます。市場の変化や競合の増加に対応するため、戦略の見直しやイノベーションへの挑戦が必要です。成功企業の事例分析やビジネス書の研究を通じて、自分自身を成長させる努力を続けています。

私の目標は、より多くの人々に幸せや感動を届けることです。音響の力で、結婚式やイベントの空間をより魅力的なものに変えることができれば、私の夢は叶ったと言えるでしょう。今後も成長戦略を練り上げ、さらなる成功を目指し続けます。

今回は私の挑戦と成果を共有しました。起業家や女性社長、フリーランスでの音響オペレーターとしての活動を目指す方々に勇気と共感を与えられることを願っています。みなさまも自分の夢を追いかけ、輝かしい未来を掴んでください!

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