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森林ビジネス考察(3)       山林を基盤とする町に、如何にして産地形成を起こし、街にするか?

3.北海道・下川町
 下川町(しもかわ)は、北海道の中央部旭川市から北東50kmほどに位置し、その約90パーセント5万ヘクタール強が森林に囲まれ、林業とともに歩んできた町です。町有林経営面積4,205ヘクタールを有し、トドマツ、カラマツ、アカエゾマツを中心に旺盛な美林があります。私は、この美林の中に佇む地域のダケカンバの利用を志して、下川町で木材乾燥の研究を行いました(口絵写真)。
 毎年50ヘクタールの造林×60年伐期=3,000ヘクタールで一つのサイクルを作る、循環型の森林施業(法正林思想)や樹木のカスケード利用が経営の基本とされており、理想的な林業経営を感じることができます。
 人口三千人に満たない冬はマイナス25℃程にもなる極寒の小さな町ですが(写真)1917年には鉱山が発見され、1919年には国鉄名寄本線が開通すると、昭和の中頃(1960年代前半)までに、鉱山業、その後、製材・単板工場(旧共立木材工業)などで栄えました。町には町営のスキージャンプ台があり、レジェンド葛西選手の出身地としても知られています。しかしながら、1970年代の国策や産業構造の変化に伴う基幹産業の衰退が重なり、人口が急激に減少。1980年の国勢調査で人口減少率が北海道1位、全国4位を記録しました。1989年には鉄道も廃線しています。

下川町氷点下の日の出
トドマツ防風林
町営ジャンプ台


 このような状況を打開すべく、1986年にはその冬の寒さを活用して氷のランプシェード「アイスキャンドル」作りなど手つくりの町つくりの挑戦が始まり、2008年に環境モデル都市、2011年に環境未来都市、2013年にバイオマス産業都市など、国のモデル地域等の選定を受け、経済的・社会的・環境的価値を創出する持続可能な社会を目指し、地域づくりが進められています。この結果、自然動態は依然減少が続くものの、社会動態は近年増加に転じており、人口減少に歯止めがかかりつつあるといった成果が現れています。
 ここでは、下川町が行う森林経営やエネルギー自給など先進的な取り組みのうち、町の東部にある小さな集落「一の橋地区」で展開されている、未来を担う試みを紹介して、考察してみましょう。

(1)森からエネルギーの自給自足へ
 下川町では2000年代に入り、森林資源の新たな活用の研究がなされ、方策の一つに森林バイオマスの利用が挙げられました。その後、2004年に北海道で初めて、町内公共温泉(五味温泉、写真)に木質バイオマスボイラーを導入しました。

五味温泉


 また2012年には、町の域際収支を計算した結果、黒字部門は、農業(約18億円)と製材・木製品(約23億円)である一方、暖房用の灯油などの石油・石炭製品(約7.5億円)、電力(約5.2億円)が大きな赤字であることがわかりました。
 この結果に基づき、恵まれた森林バイオマス資源を活用して、電気と熱のの自給自足を目指す取り組みが始まりました。町内の森林作業で発生する林地残材や小径の間伐材、木材加工プロセスから出る端材などを原料に、木材チップを製造し、そのチップを燃料に、町内のバイオマスボイラーで生み出した熱を町内の施設に供給するという取り組みです。
 現在町には、合計13基のバイオマスボイラーが稼働しており、下川町全体の熱自給率は45%に達しています。今後、熱供給導管の埋設を進め、住宅への熱供給を促進するなどして、熱の100%自給をめざすとともに、熱電併給システムの導入を進め、電力の自給率も上げようとしています。

(2)森林バイオマスの熱エネルギーを付加価値に変換する
 下川町の地域経済の「稼ぎ頭」は、森林資源から変換される製材・木製品です。そのために、約50ヘクタールの森林を伐採しています。伐採した木を製材して、木材として域外にも販売し、その際の残材や端材から燃料用木材チップを製造し、熱に変換しています。伐採された約50ヘクタールの森林には植林され、植林された苗は60年かけて成木に成長し、60年後に伐採されます。つまり、循環型の長期的な森林経営のしくみで、かつてのような鉱物資源に頼る町づくりではなく、森林資源を利用した持続可能な町づくりを目指しています。
 しかしながら、物流の発展によりグローバル産品となった製材・木製品は、市場の原理により厳しい価格競争に晒されることになります。特に為替の影響を受け易いため、このことが我が国の森林を基盤とする中山間地の森林産業の国際競争力を奪い、脆弱化させました。北海道のトドマツ(学名)は、欧州のホワイトウッド(学名)と材質が極めて類似するため、高い競争力が維持できるわけではありませんでした。
 森林バイオマスを変換して得られる熱を、他に価格競争に打ち勝てる価値に変える取り組みが必要でした。その一つの例が、バイオマスボイラーが生産する熱を用いて、シイタケ栽培など新しい産業を興すことでした。新しい産業は、通年で新しい雇用を創ることができます。

(3)消えつつあった小さな集落から、新しい「バイオビレッジ」誕生まで 
 下川町中心部から国道を東へ10kmほど走ったところに「一の橋地区」があります。王子製紙の森林資源研究のDNAも受け継がれている場所です(写真)。私は、旧一の橋小学校を訪れた時の感情を忘れることができません(飛騨高山カーボンサイクル誕生秘話をご覧ください)。

下川町一の橋の研究施設


 人口約140人、周囲を山に囲まれた緑の美しい小さな集落ですが、1920(大正9)年に鉄道の駅が開設され、一の橋営林署を中心として林業で栄え、最盛期の1960年には人口が2000人を超え活気に溢れた集落は、1989年JRの廃線とともに駅がなくなり高齢化と過疎化が一気に進みました。
 産業がなくなり、住む人が減り、もう先がないところまで追い詰められた集落の一筋の光は、熱を新しい価値に変える挑戦でした。
 2014年にシイタケの菌床栽培が始まりました。4棟ある巨大な温室ハウスには円柱形の菌床がびっしり並び、暖房エネルギーには木質バイオマスが使われています。ここで栽培に携わる雇用の場が創出されたのです。
(4)今後、何が起こるのか?
 熱を利用すれば、様々な農産物の栽培が可能になります。ハーブを無農薬栽培し、それを原料に化粧品を作るなど、新しい価値は新しい取り組みから生まれていくと期待します。
 如何でしたでしょうか? 森林をベースとするモノつくりを、バイオマスから発生する熱をスタートに積み上げていく新しい展開。このような新しいドラマを産み出す技術と情熱が、山林を基盤とする町に、如何にして産地形成を起こし、街にするか?のヒントではないか?と思います。

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