国立がんセンター検査入院
入院出来ず帰って来てから3日後。
もう一度国立がんセンターに向けて、出発です。
今度はバッグにしっかり、1日分の着替えを持って行きます。
妻はこの日、近くのホテルに泊まってくれます。
8:00頃出発し下の娘を預けます、今日はその家でお泊りしてもらいます。
(小学校は始まっていましたので、上の子は鍵っ子。
後ほど友人が息子を、下の子が泊まる家に輸送してくれる段取りになっていました。)
途中、土浦のあたりでしょうか、真正面に
富士山が!!
茨城県からも見えるんですね。
初めて知りました。
11:00頃到着し、受付を済ませて入院するベッドへ。
今回は妻も病室まで来れるので少し安心。
エレベーターがなかなか来ません。
4つあるエレベーターがシンクロ。
同じ動きを繰り返します。
(多分、そう動かす事の意味があるのでしょう。なかなか来ません。)
12:30の超音波内視鏡までいろいろと説明等を聞きました。
ただ自分の頭の中は一つだけ…
“普通の胃カメラより一回り大きい”
“カメラを入れてから40分程掛かる”
鎮痛剤・鎮静剤を使って下さるので
【苦痛は感じません】と書いてありますが、また途中で起きてしまったら・・・
ばかり考えていました。
検査室の前、夫婦でスマホで撮った子供達の動画を見ながら待ちました。
「大丈夫」
妻がずっと手を握ってくれていました。
慣れた方は多分、何て事はない検査なのでしょう。
でも、
“私は胃カメラが本当に怖い”。
やはり途中で起きてしまい悶絶。
・・・目覚めたら喉に太いパイプのようなものが突っ込まれています!!
もはやパニック状態…。
看護師さんに押さえ込まれながら、鎮静剤を追加して下さったのでしょう。
また記憶がなくなりました
夢かどうか分からない程度の記憶として残っています。
次に目覚めたら自分のベッドでした。
意識朦朧として
「俺、どうやってここに戻ってきたの?」
と妻に聞きます。
妻「こうこう、こうして…運んでくれたんだよ。」
「へぇ~。そうなんだ…。」
鎮静剤の影響か、もう目を開けていられません。
また寝ます。
~しばらくして目覚めます。
意識もうろうとして
「俺、どうやってここに戻ってきたの?」
と妻に聞きます。
妻「こうこう、こうして…運んでくれたんだよ。」
「へぇ~。まじか…。」
目を開けていられません。
すごい睡魔です。
また寝ます。
看護師さんが心電図を外しに来てくれました。
あれ?なんでここにいるんだ?
依然として意識朦朧
「俺、どうやってここに戻ってきたの?」
と妻に聞きます。
妻「こうこう、こうして…運んでくれたんだよ。」
「まじかぁ…。全然記憶ない…。」
無理ですもう目を開けていられません。
まぶたが石のように重く目に落ちてきます。
しばらくして目覚めます。
意識もうろうとして
「俺、どうやってここに戻ってきたの?」
と妻に聞きます。
妻は、もういませんでした。
LINEには
“ずっと寝てるし、看護師さんに聞いたら大丈夫だろうという事だったからホテルに行きます。
そして、こうこうこうして・・・運んでくれました。”
メッセージが残っていました。
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