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シュレーディンガーの猫

シュレーディンガーの猫って有名な思考実験ですよね。
すごく残酷でとても馬鹿馬鹿しい、と個人的には思うのだけれど、この実験のことを聞いて愛しい父の事を思い出した。

わたしが中学生の時、すごい高熱で学校を休んだ事があった。
本当に具合が悪くて、ベットから動くのも億劫だったし、喉がつぶれて声が上手く出なかった。
父はお昼休み家でご飯を食べる為、いつもはありモノで済ませているのに、その日はわたしの分も含め昼食をコンビニで買って帰ってきてくれた。

わたしはよく風邪をひく子供だったので定かではないが、確か高熱なのに昼食のメニューがカツ丼だったのはその時だったと思う。後から聞いたら、別に願掛けとかでもなく、元気になるように"カツ丼だったらしい。どんな幼少期を過ごしたら高熱で休んでいる人にカツ丼を買ってくるのか気になったがとりあえず食べれる分だけ食べた。
そうだ、父は肉が大好きなのだ。カツ丼…。

カツ丼事件に至る前の話、
昼に「ただいま〜」と父が帰ってきて、勢いよくわたしの部屋のある2階まで駆け上がり、扉の取っ手に手をかけた。
かと思ったら扉は開けずに一旦リビングに走って行き、3分ほどしてからまた戻ってきた。

カチャっと小さな音で扉が開き、父がわたしの名前を呼んだ。
わたしがゆっくり動くのを確認すると「ふぅ…」と安心したようなため息を吐いてから何か欲しいものはないかと聞いた。

そして、少しお腹が空いたと言った時、あのカツ丼が出てきた。
まあそれはよしとして、なんで一旦部屋に入るのをやめたのか聞いた時のことを書こう。

父が言うには
「静かすぎて途端に怖くなった。もし、もしも死んでたらこの後何もできなくなるだろうからとりあえずご飯だけは腹に入れておこうと思った。」
との事だった。

父はいたって真剣に話していたけれどわたしは何だか面白くてクスクス笑ってしまった。

父にとっては、
高熱で下手したら死んでいるかもしれない娘と、
高熱に耐え生きている娘、
が同時に存在していたと思うと
気分はもうシュレーディンガーの猫だ。

父は母を面白い人と言うけれど、
わたしは父も母と同様に
面白くて不器用でとても愛の深い人だと思っている。

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