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"HSPnet"に込めた想い<1>

"HSPはつらいよ"
と、かつての名作映画シリーズを思い起こさせるような発信が増えています。
ぼくもまた、つらいよ、と思っているHSPのひとりです。
ひとりで折り合いをつけることは難しく、何らかの支援が必要だと実感しています。

ではHSPが生きやすくなるためにはどうしたらいいだろうか、
という情報発信もそれに呼応するようにたしかに増えています。
その多くは、具体的な対処法のようなものです。
カウンセラー、アドバイザー等々を名乗る方々の発信もだいたいその線です。
こういうふうに考え方を変えてみたらいいよ、とかね。

それはそれで、必要な情報であり支援であるかもしれません。
解決した!という方がおられれば万々歳なのです。
しかしどうでしょう、
「やっぱり自分の考え方が悪いんだ…」
「こういうふうに変わらないといけないんだ…」
「そんなこと言われても…」
と感じられる方も少なくないのではないでしょうか。
ぼくは、そうでした。
HSPにも個性とともに濃度いうか、グラデーションがあると思いますが、
ぼくのように"自己啓発系アレルギー"をお持ちのHSPも多いのではないか。
そう考えると、アドバイスや(短期的な)カウンセリングは、
少なくとも一部のHSPにとって適切な支援にはならないのではないか…?
("弱み"につけこんでビジネスにしようと目論む連中などは論外です。)

そこで、ぼくは素朴に思うのです。
HSP"だから"生きづらい、のではなくて、
HSPが生きづらい社会なのだ、いいかえれば、
社会がHSPを生きづらくさせている、のではないのかと。

つまり、ぼくが焦点を合わせたいと思っているのは、
前面に出ているHSP特有の感じ方や考え方ではなくて、
背景にある社会の"都合"のほうなわけです。
これはなにも突拍子のないことを言っているわけでは全然なくて、
障がい者運動ではバリアフリーという言葉が象徴的なように、
バリアをつくっているのは社会の側だ!と言ってきましたし、
LGBTQ運動では、例えばホモフォビア(同性愛嫌悪症)という概念によって、
病気なのは同性愛者ではなく、それを嫌悪する側のほうだと主張してきたわけです。

では、HSPという文脈でどのように展開していくか。
いま考えている道筋は、ふたつ。
ひとつは、いま現実にある社会のなかに、HSPがありのままでいられる安心、安全な居場所をつくること。
もうひとつは、そこで共有された"ぼくの""わたしの"生きにくさを、"ぼくたち""わたしたち"の生きにくさとして紡ぎ直すことで、社会自体の変化を求めていくこと、です。

この先のもう少し具体的なお話は<2>で続けたいと思います。
そして、ともに創造していける仲間を求めたいと思っています。
ぼくという人間は、小さな小さな存在で、何者でもありません。
何者かでありたいと願っているわけでもありません。
だからこそ、手をつなぎたいと思っています。
"1人で100歩でなく、100人で1歩ずつ"
その個性豊かな100歩が社会を変えると、信じています。
そういう想いで、HSP"net"というアカウントを立ち上げました。

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