「心に闇がある」を自覚し受容できてる人の方が、仲良くなれる理由
あなたは闇と聞けば、何を思い浮かべるだろうか?
闇バイト、闇落ちなどポジティブなものは浮かびづらい。
僕はこのnoteを書くことが、自分の闇を開示する行為になっている。
これまでは「闇を隠そう」「闇を知られてはいけない」という姿勢で生きてきた。
しかし、目を逸らそうとすればするほど辛くなるとわかったので、いっそ「闇を晒してみよう」とスタンスを切り替えた。
先日投稿した「20代の頃の洗脳体験」などは過去の闇そのものだ。
闇を書くときに恐怖を覚える。
「こんなことを書いて大丈夫?」「引かれないか?」など不安を抱きつつ書き進めることも。
しかし闇を開示しても、noteをされている方は特に引くこともなく受け入れてくれる。
闇の開示→他者から受容される→闇を隠さなくていいと学習
これを繰り返すことによって、以前よりも自己受容できるようになり、レジリエンスの力が高まった実感がある。
闇しかない人もいないが、闇がゼロの人もいないはず。
闇があるのに闇がないよう、無理に明るく振る舞おうとする人がいる。
こういう人が苦手なのは、過去の自分がそうだったからだ。
同族嫌悪なのだろう。
一方で自分の闇をしっかり自覚した上で、そこを受容し他人の闇もしっかり受け入れられる人もいる。
noteでつながらせていただいている方は、結構このタイプが多いかもしれない。
自分の中にある闇を無視し続けることで、その闇は淀んで拡大していくのではないだろうか?
闇を隠そう、隠そうとしていた過去の自分に一言声を掛けるとするならば
「隠さんでええよ。晒した方が楽になるし、怖がっていることなど何ひとつ起きないから」
と言ってあげたい。
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