「子どもらしく元気にみんなで遊ぼう!」が内向型チャイルドに超ストレスな理由
「子どもらしく元気に遊びましょう」
「子どもは明るくないと」
「みんなと一緒に外で遊んできなさい」
子どもの頃、大人からこういったことを言われるのが苦痛だった。
僕は静かな子どもだったので、昆虫採集やキン肉マン消しゴムのひとり遊びに没頭するのが至福の時間だった。
活発な同級生は、朝からドッジボールをやりたがった。僕も誘われ、渋々つきあいで参加していた記憶がある。
まあ、こういったことで社会性を学んだ面もあるので全てを否定的には見ていない。
もしかして令和にの今も「子どもは子どもらしく元気に遊ばなければならない!」という考えを押しつけられ、で苦しんでいる子どもがいるかもしれない。
子どもらしくって何だろう?
内向的で自分の世界を持っている子どもは、子どもらしくないのだろうか?
「友だち100人できるかな?」という歌があったが、そもそもなぜ友だちの数が多い方が良いとされていたのだろう?
数や量よりも、関係性の質の方が大事だと思うのだが。
自分の軸があったので、僕はひとりで没頭できる時間をできるだけ取っていた。
そしてありがたいことに、親に恵まれた。
親は僕の個性を否定せず、むしろ「あなたらしく過ごしたらいいよ」と後押ししてくれた。
今、家で働くという夢のような暮らしを実現できている。
自分の個性を否定されるような家庭環境だったら、とっくの昔につぶれていたかもしれない。
「〇〇は××らしく△△しなさい」といった人間を一面化し、鋳型に押し込めるような教育は窮屈極まりない。
「〇〇らしさ」は、言い換えると呪いである。多数派ではない人間は「〇〇らしくない」と批判され、生きづらくなる。
「みんな××してるよ。そんなことしているのは、あなただけ」というのも同調圧力という名の呪いだ。
内向型が持つ特性を活かして暮らせる時代の到来は、ありがたいという他ない。
テクノロジーの進化に救われている内向型は、きっとたくさんいるだろう。
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