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情報化社会の罠?誰もが「誰かと比べる病」で不安に陥る理由

有名SNSと比べて、noteは民度が高く治安がいい。

色々なSNSやブログを経て、noteに行き着いた人は多い。

noteは発信者の「イケてますよアピール」が少ないので、心地よい。

素朴に文章を綴っている人がたくさんおられる。

あくまでこちらのイメージに過ぎないが、それほど強く主張せずにボソボソと綴る文章が多く、僕はそういった味わい深い文章が好きだ。

さて「SNSは人の幸福度を下げる」という説がある。

SNSにアップされる写真と自分の境遇を比較して、ネガティブな気持ちになりやすいというのだ。

SNSにアップされる写真の一部は、キラキラしている。当然、映える写真を人は選ぶ。

橋本環奈が奇跡の1枚によって、世の中に発見されたが、静止画というのは一瞬を切り取れるのが強みだ。それゆえ演出もしやすい。

世の中にキラキラとした光が放たれると、同じ量の闇ができる

SNSの光が人為的に作られたものだとしたら、その光と自身を比較して芽生える劣等感もまた人為的なのかもしれない。

何かを認識することで発生する感情は、認識する機会を設けなければそもそも生まれない。

極論だがキラキラした写真をアップするプラットフォームがなければ、他者のそういった写真を認識しようがない。

劣等感を抱えている人からすると、SNSがあろうがなかろうがみじめな思いになりやすいことに違いないのかもしれない。

しかし、人と比べる機会の総数が減れば、ネガティブな気持ちになる機会もまた減るのは確かだろう。

情報化社会は、比較によって成り立っている。

情報を取り込むことは、不安を煽られやすくなるということでもある。

「今のままのあなたでいいの?」「もっと向上しなくていいの?」「これを使ったら、さらに素敵なあなたになれるよ」などのメッセージは全て悪魔の囁きだ。

これらは裏を返すと、いずれも「今のあなたではいけない」と脅迫しているのと同じ。

ただし「今のままのあなたでいい」というメッセージしか世の中になかったら、経済活動は滞るしGDPは激減するだろう。

資本主義は、他者との比較によって成り立っている。

「頑張らなくていい」「等身大のあなたでいい」「ポンコツでもいい」というメッセージを資本主義側は、なかなか発してくれない。

情報の渦に巻き込まれ、気づけば他人軸になり散財している。

それが過度にテクノロジーの発展した資本主義の正体だ。

自己顕示欲と無関係に綴られたnoteの素朴な文章が愛おしい。しかしそれらには派手さがないので、その価値に気づく人は少数かもしれない。

見栄えするもの、声の大きいものは経済に直結しやすい。そのため資本主義社会の中で、高い位置づけとなり重宝される。

しかしそれは人々の反応を得やすいインスタントなものであることも多い。

noteを愛する人は、そういった資本主義の洗脳を一歩引いたところから俯瞰的に観察している、容易には物を言わぬ賢人のように思える。


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