気持ちの整理(友だち)


世の中には「言わなくてもいいこと」が、自分が思っていたよりもたくさんあるということに気づいてから、なにかを言おうか言わまいか迷ったとき、それが「言わなくてもいいこと」である可能性が捨てきれない場合は、出かけた言葉もぐっと飲み込んで口にしないことを選ぶようになっていた。

それは、できるだけ誰も傷付けたくないと思うわたしの優しさだったり、誰に対しても無害でありたいと願う臆病な傲慢さだったり、余計なことを言って場をしらけさせる人のことを幼稚で学がないと蔑視する気持ちだったりした。

たいして賢くも大人でもないわたしが、そうはなりたくないと思ったとき、「必要なこと以外は口にしない」ことが自分を守るための最も有効な手段に思えた。

大学4年の春、Instagramをやめた理由の一つでもあった。





周りの友だちたちとはちょっと違う道を行くことを決めたのは自分で、それには本当にいろいろな要因があった。自分の力の及ばないところで自分のやってきたことがだめになったとき、あのときに自分の底力を見た気がした。わたしは自分の人生に対して、「なんとなくでいい」とか「なるようになる」とか「流されるままに辿り着いたところが結局は」なんてふうには思っていないんだろうなと気付くことができた。少なくとも、あのときは、今は、まだそうは思えないんだろうなと思う。

でも、それを「すごいね」「えらいね」って賛美されたり、「わたしは決まったレールの上進んでるだけだから」ってそうしない道のことを卑下して言われたりするのは、心がモヤモヤしてしまう。だからって、「自分勝手できていいな」とか「わたしもお金があれば/ 親が許してくれれば、そうしたかった」とか「ロマンチストだね」とか言われるのはもっと嫌なくせに。

結局、「自分のことは自分だけがわかっていればいい」と思ってしまったら、後戻りできなくなった。何を言われても正体不明のモヤモヤが生まれてしまうので、人と会うのが話すのが億劫になった。自分のことを正しく理解してほしいと思えなくなったら、何にでも「うんうん」って言える。楽で、つまらないけど、安全だった。そんなわたしといても誰も楽しくなかったと思うし、わたしも楽しくなかった。


だからって自分と似たような人を見つけて安心するのも違う気がして。身内だけで盛り上がって盲目になってしまうのがいちばん怖い。

孤独だけど、ちょうどいいのかもしれない。

今は一人でいいのかもしれない。
人通りの多くない道を一人で歩いてることは事実なのだから、その心許なさを紛らわす必要はない。

一生懸命頑張って、もっともっと強くなって、胸を張って帰れるわたしになったら、またみんなに会いに行きたいなと思う。
迷って足掻いて悩んでばかりだったわたしを、「えらいよ」「すごいよ」って励ましてくれたみんなと、また笑顔で話せる日が来たらいいなと思う。


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