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頭が真っ白になるよりも顔が真っ白になった話

人生の転機というものは、振り返ったときにあれは転機"だった"なと感じるものではないかと思います。でも多分、今は転機の真っ只中にいる気がします。



2024年5月31日(金)に、右膝前十字靭帯損傷と外側半月板損傷の診断を受けました。全治10ヶ月。数多くのスポーツ選手・サッカー選手が負っている怪我を自分も経験するとは思いませんでした(キレのある速い選手が怪我のイメージがあったので)。その日からこれまでの経過と何を考えていたかを書いてみます。

リリースの通り試合中に怪我をしました。後半の30分頃、2回の接触プレーによるものでした。1回目で右膝が外側から内側に入って痛みが走りました。音はしませんでした。2回目は倒れましたが上手く転がれました。どちらも左足でボールを蹴ろうとした片足立ちのタイミングでの接触でした。


打撲とは違う痛みを感じましたが、少し庇いながら走り出すうちに気にならなくなったので、トレーナーに◯サインを出しました。アドレナリンって出てるんですかね。試合再開してから終了までに痛かった記憶は無いです。


サッカーの神様がいるとしたら、この後に現れたのかもしれません。後半33分CKからゴールを決め、1-5で勝利することができました。ニアでヨネ(22番米澤哲哉)がオシャレにボールを逸らしてくれて合わせるだけのゴールでした。サッカーができない期間のお守りになるようなゴールであったのかなと考えてしまいます。


お守りゴール?

試合後痛みはまだあったので湿布をもらい、中型バス乗って沼津市から刈谷市に帰ってきました。帰宅すると膝の曲げ伸ばしがフルでできなくなりました。翌日の月曜日が痛みのピークでしたが、火水木と痛みが無くならなかったので金曜日におおすが整形外科を受診しました。

MRI検査が終わって診察室に入ると、空気がどんよりしてました。院長から「宏樹、残念だけど前十字靭帯損傷してて…全治9-10ヶ月で…」と、話を聞いているうちに頭がぐるぐるして気持ち悪くなってきました。今年はプレーできないのか、今後プレーできるのか、引退なのか、そんな大怪我だったとは、7月に第二子が産まれる予定なのに、スギ薬局の仕事はどうなるのか、様々な想定が頭を巡りました。吐き気もありました。


その後院長が膝のチェックをするということで、ベッドに寝かせてくれて時間が経つ内に少し落ち着きました。関節の緩さを確認して起き上がり、手術するかしないか、家族のこともあるし今は状況整理するのも難しいだろうからと、今後の予定は後日決めることになりました。最後に気持ち悪くなった話をしたら、顔白かったからチェックするのも兼ねて寝かせたよと院長が言ってました。助かった。頭が真っ白になるというより顔が白くなっていた、そんな経験になりました。

金土日と練習も仕事も試合も無い3日間を過ごしました。そう簡単に復帰できるよう怪我ではないし、もう一度プレーできる保障もありません。左膝の前十字靭帯が切れる可能性もあります。先の見えづらい状況だけど今できることをやるしかない。いつだって今日が一番若い日だって周りに言ってるけど、自分がまずそうでありたい。サッカーをやりたくてもやれない日が不意に訪れたからこそ、これまで以上に意志のある後悔の無い生き方をしたいなと考えました。そして応援してくれる人と助けてくれる人たちが、自分の姿や振る舞いや関わりを通して喜んでもらいたいと純粋に思いました。

怪我した次の試合にて④


現在は手術に向けて膝の可動域を戻すことと、筋力を落とさないようにリハビリをしています。7月1日に手術も決まりました。ピッチ外でも何かできることはないか探してみて、FC刈谷の選手紹介を始めてみました。

FC刈谷との接点を増やして応援や興味を持ってくれる人が増えるようにやれることを。きっかけを転機に。



器のデカさとは、本来笑えないはずの状況でどれだけ笑えるかで測るんだよ。

三浦崇宏「言語化力」より


最後まで読んで頂きありがとうございました。
佐々木宏樹

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