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豊かさと不満の狭間にて

私たちの生きる先進国社会には、一種の不可解な矛盾が存在している。パンに飢え、衣食住を心配せずとも生きられる環境にあるのに、人々は口をそろえて不満を漏らす。

その根源には、人間が本来的に備えた「損失回避性向」があるのかもしれない。いったん手にした既得権益を失うことへの深い恐れから、マイナスの変化を過剰に警戒する傾向にあるのだ。

手にしたものは見えなくなり、手に入らないものばかりが目に付く。このひずみが、豊かな生活環境下でもなお不平の種を生み出しているのだろう。本当に不足しているものは何もないのに、そう感じられないがために不満が口をつぐ。

日本はその典型例と言えるかもしれない。世界の中で経済水準は高いにもかかわらず、豊かさを実感できていない。停滞する日本を見れば一因は明白である。成長や変化の過程がなければ、豊かさを感じられないのだ。

豊かさとは、実は成長の喜びと表裏一体なのかもしれない。いつまでも同じ水準が続けば、やがてそれは当たり前の日常となり、特別な喜びは得られまい。右肩上がりに向上していく過程にこそ、豊かさの実感が潜んでいる。

海外での生活経験があれば、それがよくわかる。他国の環境を見れば、この国の豊かさがいかに特別なのかを実感できるはずだ。しかし、長く同じ環境に甘んじていれば、それが当たり前の日常となり、かえって不満が募っていく。

人間の心理にはこのような歪みがあり、手に入れたものの価値に気づかず、得られないものに一喜一憂する愚かさを冒してしまう。不平を口にする私たちには、豊かさを見つめ直す目が欠けているのかもしれない。

真に豊かな環境に生きながら、不満を募らせる。一見すれば矛盾に満ちた態度だが、それが人間の本質であり、その思考の歪みを自覚することから、真の豊かさへの着眼が始まるのである。

先進国に生きる私たちの多くは、物質的な豊かさは手に入れた。しかし、そこで成長が止まってしまえば、いずれ新たな不満が生まれてくる。物質面での飽くなき欲求はひとまず満たされても、次なる目標が見つからない虚しさが人々を覆うのだ。

成長と変化の喜びを知った者にとって、現状維持は決して満足のいくものではない。ありふれた日常に甘んじていれば、いつしか新たな目標を見失い、ただ漫然と時が過ぎていく。その空虚こそが、豊かな環境下でさえ、人々に不満を募らせる最大の原因なのかもしれない。

人間には常に進化し、成長し続けたいという欲求が宿っている。その欲求を満たさない環境においては、いずれ物足りなさを感じ始めるのだろう。それが先進国社会における、一種の宿痾(しゅくが)ともいえるのではないか。

この問題に決して簡単な答えはない。しかし、この痼疾を乗り越える糸口は、間違いなく自らの内側に宿っているはずだ。新たな目標を見出し、前に進もうとする強い意志を持つことで、私たちはまたしても成長への道を歩み始められるに違いない。

そうすれば、今の豊かな環境が改めて実感できるはずである。安らぎの中にあって、それでもなお前進を望む。その健全な欲求には、真の豊かさへの望郷が宿っているのかもしれない。

私たち一人一人が、この難問に立ち向かい続けることで、いずれは先達の教えに気づくことができるだろう。不満を口にしながらも、その足下にある真の豊かさを見つめ直す目を手に入れられることを、私は心より願っている。

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