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【自画自“評”2】ちょっと閲覧注意な私の作品紹介

大分間が空いてしまいましたが、自画自評シリーズ第二弾です。
今回も私が描いた自信作イラストを3つ、紹介していきます。

注意!私の絵は「見た人の大半が不快になっても、けれども一部の人にだけ刺さるものが描ければいいな」というスタンスで描いたものです。気持ち悪い表現方法、グロテスクな描写も一部あります。そういった表現が苦手な方は、ブラウザバックをおすすめします。

1.嘔吐matic

嘔吐matic

本日1枚目は、「嘔吐matic」というタイトルのイラストです。
いうまでもなく、automatic(=自動)のもじりです。
大学時代に描いた絵ですが、おそらくこの時、プログラミング、シンギュラリティ、AIなど、理系的な技術革新に強い嫌悪感を抱いていたのでしょう。そういった人間による営みを超越する、もしくは無にするものに対して、「反吐が出る」といった気持ちをタイトルに前面に押し出したものです。この頃の私はタイトルで遊ぶのに凝っていたので、他にも同じようなイラストは多くあります。
また前回紹介した、「ある程度素直」と同じく、文字による説明的な絵を目指していました。
茶色を基調とした画面は、明らかに汚物をイメージしています。


2.Don’t have to be kind to anybody.

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私のアカウントのプロフィール画像にしているイラストです。
これを描いた時、おそらく世間はもうすでにコロナ禍でした。
周りの人間にコロナウィルスを移してはいけないという気遣い、そのための外出自粛、会食自粛というストレスに嫌気がさしていた頃です。
自分もストレスでいっぱいなのに、周りを気遣わなければいけないという負担を、例によってタイトルで直接訴え、ナンセンスなイラストにその想いを落とし込んだ作品になります。

小動物を丸呑みする女性、手に持つは禍々しい色の刃物、私がやたらハマった汚れたタイルの背景で、一ミリも気持ちの良い作品になっていません。

ただ私は、見た人を決して気持ち悪がらせるために絵を描いているわけではありません。
人には言えない、自分自身の暗黒を、表現する人がいるんだ、適切な形で表現してもいいんだという風に思わせたかったのです。

3.瀆聖

涜聖

冒瀆(=神聖なもの、清らかなものをけがすこと)の瀆に、聖なるものの聖で「瀆聖」。「神聖な存在とされるものを冒瀆したり、みだりに接触したりすること」という意味があります(漢字ペディアより)。
漢検準一級の勉強をしている時に知った熟語です。これを絵の題材にするあたり、かなりひねくれていますが、私のスタンスは「感じてはいけないこと、抱いてはいけない思いをもって抑圧されていると感じる人に私の絵が目に止まって、ちょっとスッキリしてもらえたり、あるいはその人独自の発散方法のヒントになってもらえればいいな」というものなので、それに即した作品群です。

私のイラストにはあまりない、青空、笑顔の女の子。その爽やかで健康的なモチーフを真っ向から汚す、赤黒い背景に皮を剥いだ人間の肉、及び内臓のようなモヤモヤ。

別にグロテスクなものを描きたかったわけではありませんが、この「瀆聖」を表現するために、あからさまに綺麗なもの、守るべきもの、目指すべきものを全面的に否定。というよりむしろ、視覚的にもぶち壊すことで、その破壊のプロセスを描いています。

左手で自分の腹を割いているのは、自傷という救いのない行為を直接的に表現したものになります。尊い体、かけがえのない生命、つまり聖なるものの冒瀆に他なりません。

1や2とは打って変わって、このイラスト自体に何のメッセージもありません。
このイラストに込めた想いはただ一つ。「どんな表現も、日の目を浴びていい。規制をされるべきではない」ということです。

今回はここまでとします。またいずれ紹介します。

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