私は消費者だ。と強烈に体験した出来事。

絶対に文字で残さなきゃと思って、
疲れ果てたセロリコの帰り道の真っ暗ガタゴトバスの中で書いた日記。

セロリコというのは、南米ボリビアにある銀山のこと。
今でも、お金を稼ぐために、たくさんの鉱夫の人たちがこの山の中で働く。銀を探して。

去年の年末。
私は最高の旅仲間と一緒に南米に行きました。
もちろん最高の旅。
全ての出来事がすばらしかった。

そんな中でも、私がどうしても忘れられない出来事。
全部を鮮明に思い出せる。リアルで怖い。けどそれが現実。
この気持ち、ぜったい忘れちゃダメだと思うから、ここにもう一回記す。備忘録。

疲れてて衝撃もうけてて、文章ぐちゃぐちゃだけど許してね。笑

エシカル消費に強く共感できるのも、この体験があったからだと思うんだ。

・・・・・・・・・

★ポトシ銀山★

まさか行くとは思っていなかった。
色々あって、タイミングよく急遽行くことになったポトシ銀山。(ウユニ塩湖の絶景がソッコー見れちゃったからね)

寝不足のまま、私はすごく不安な気持ちのままポトシの街へ。バスで約4時間くらい揺られて向かう。


私たちが利用したのはコアラツアー。
受付している時、ガンガン音楽かけてすっごいテンションあげてきてくれて、私はその雰囲気にすっごく不安になった。


今から行くのは負の遺産として知られるポトシ銀山。セロリコと呼ばれている。
今までに800万人の人の命がこの山で亡くなっている。
私には想像すらできない世界。正直言って。

不安なままポトシ銀山に向かう。
そしてたしかに、
旅行前に見たテレビの映像の光景が、
私の上司である友樹さんのお話の光景がそっくりそのまま目の前にあって、
現実味があるような、ないような。
彼らはそこでそうやって生きている。
それだけは明確な事実として私の目に映りました。

ここで取れた銀やその他の鉱物がどのようにして消費者である私たちに届いているのか、知っている人はいるのだろうか。
私は今まで、相手の顔が見えないことに対して違和感というか、できれば自分の存在意義が分かるように、相手の顔が見えることをやりたいって思ってたけど、
何かを生み出す原点で働く人たちをみて、何と言うか甘かったなと感じました。
相手の顔が見えるような、とか、こんなことを考えられる甘い世界なんて、今この世界で先進国のそれも1部しかないだろうなと。


行く前、めちゃくちゃ怖かった。
セロリコは常に死と隣り合わせな状況だと知ってたから。
ツアーではあるけど、その現場に立ち入る時点で、何があっても保証ができない世界に入り込むことを承諾することだと思っていたから。

確かにそれはその通りだったし、
だからこそ、おんじと一緒で良かったなと心から思った。
セロリコのことを知ってると、ここまでサクサク決断できないはず笑

着替えを済ませ、鉱夫さんたちの差し入れ(アルコール、ジュース、コカ、ダイナマイト)を購入し、ガタガタ道を進む。
頂上付近の入口からポトシ銀山の中に入った。
2トンの重さがあるワゴンの音とヘルメットの光に十分に注意を払い、洞窟内を進んでいく。
ガイドの人の指示は絶対。本当に命にかかわるから。
かなり緊張しながら足早に進んでいく。


途中で線路をそれて真っ暗闇の下の方の穴に潜って行った時は、かなり緊張した。
標高約4,000mの高地で、緊張もあり、静かな空間に乱れた呼吸音が響く。
けど、それすら抑えようとか恥ずかしいとか思わないくらい、怖いし今に集中しないと死んじゃうんじゃないかって思いながら進んだ。

行き着いた先では、実際に銀を発掘している方々に会うことが出来た。
目の前で仕事現場を見ることが出来たのは本当に貴重な体験だった。
でも、私たちには目もくれないで、ひたすら鉱物を打ち続ける。
ここに私はいていいのかな、という不安といたたまれない気持ちで、元鉱夫のガイドさんの説明を聞く。


元の道に戻るため、来た道を帰るのだけど、これも本当に怖い。
長靴は滑るし、捕まるのに最適な岩場はほとんどなく、砂はサラサラで足を取られる。
橋の代わりにかかっている木の板なんてめちゃめちゃ細くて、触っちゃダメだと言われてる電気ケーブルはいつだって自分の体のすぐ側に配線されている。

無言で突き進むしかなかった。

驚くのは、同じ道のりを鉱夫の方々は40キロの鉱物を背負って帰っていく。
信じられない。。
一日中コカの葉をかみ、食事もろくに水分も取らずひたすら働き続ける。
私たち、観光客のことを見て何を思うのだろうか。
もはや何も思わないのだろうか。


何故この仕事をしているのか?
お金を稼げる仕事だから。
誇りを持って働いているのか?
鉱物が見つかるのなら。
15~50歳くらいまで、ただひたすらに働き続ける。

それが当たり前の世界。


おんじと話してて、
私たちは先進国に生まれた享受者でかしかないことを痛感した。
なにかものが生み出されていく瞬間には、
ポトシ銀山で働く鉱夫の方々のように、目には見えないけど必ずそこで誰かの力が加わっている。
それを知らずに、私たちは日々ものを消費し続けている。
心がかなり痛かった。


自分に出来ることは何なのだろう。


翌日におんじから聞いた、ときわさんのお話。
知らないで何もしないことのほうが、知らないことよりも罪なのか??
ときわさんのアンサーは、NO。
自分が出来ることは限られている。
本当にやりたいと思うならやればいいけど、そうでなくて自分の心が疲弊してしまうのは元も子もない。
だけど、常にアンテナを張り巡らせることで、
色んな視点、知識を吸収し続ける姿勢は忘れてはいけない。

それでいい。





享受しかしていない自分が急に恥ずかしいと感じた一日でした。
当たり前のようにもので溢れかえっている世界。
本当は全然当たり前じゃないのに。
自分は、どこの地点に立って、何をしたいだろうか。
と考え直したのだけど、
このマインドをもてること自体が恵まれすぎているなと反省もした。

でも。
私に出来ることはこれくらいしかないから。
考え続けることを辞めない。
そして、自分が納得のいく生き方をする。
事実を知っている、ということを最大限に活かしたいと心から思う。

#セロリコ
#ポトシ銀山
#消費者

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