泡沫候補のハードル

2020年の東京都知事選挙は現職の小池百合子知事の圧勝で終わりました。

大阪府民としては東京都知事に誰がなろうと、直接的に生活に影響があるわけではないのでどうでもういいと言えばどうでもいい話です。もちろん、ソウル市長選挙やパリ市長選挙よりは影響があるはずですので、関心が無いわけではありません。

結果は誰が考えても予想通りといえば予想通りなのですが、自分が都民だったら厳しい選挙だったかなとも思います。

かつて2016年のアメリカ大統領選挙は、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコの究極の選択だと思いましたが、今回の都知事選は大量に並んだウンコの中から食べても一番被害が少なそうなモノを選ぶような選挙だったように思えます。言い方は無茶苦茶悪いですが。

まあ、投票当日に無理矢理ギョウザの話題をツイートするような国政政党の党首とかもいるくらいですし、ギョウザも食べちゃえば最終的にはそうなるのですから許されるでしょう。

しかし毎回、泡沫候補、特に供託金を没収されるレベルの人達の意欲と資金力には驚かされます。所詮は他人の金ですし、回り回って税金として民衆に還元されると考えればマシと言えばマシなのですが、泡沫候補が多すぎるのはそれはそれで問題のように思えます。公開討論会などで全員を対象にしないと問題でしょうし、だからといって絶対に当選しないレベルの人の無茶苦茶な主張を現職や対抗馬の比較的まともな主張と同じ度合いで情報提供されないといけない、というのはどう考えても社会的なリソースの無駄遣いです。

地方議会レベルならまあ良いとは思うのですが。当選しやすいですし。一人しか当選しない首長選挙はもう少しハードルを上げてもいいんじゃないでしょうか。

ハードルを上げるにしても、単に供託金の金額を上げるのは良くないでしょう。普通選挙の価値が薄れてしまいます。供託金を没収された人は次回の同一選挙は立候補できないという案はダメなんでしょうか。開かれた選挙という理念的にはどうなのかという問題はありますが、それなら供託金だってダメなはずです。

泡沫候補を事前に効果的にスクリーニングする仕組みが無い以上は、また次回の都知事選も同じようになるでしょうね。

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