「暇つぶし」の死語化と「タイパ」の時代到来
かつてはどうやって時間を潰すかを考えていたのですが、もはや暇つぶしで何をしようか、と考えたり話したりすることも無くなりました。暇があればスマホを弄っている人がほとんどです。
昔は、暇つぶしが産業になっていた時代とも言えます。本や雑誌を暇つぶしのために買って読む、あるいは立ち読みすることも当たり前でした。
特に、暇つぶしに最も向いていたのがテレビ視聴でした。実質無料で大量のコンテンツが一方的に送信される仕組みであり、テレビを付ければ時間を潰せます。面白い・楽しいかどうかはともかくとして、とにかく暇つぶしの王様でした。
しかし、テレビには弱点があり、見たいものを見られるわけではないことです。時間はあっても面白い番組が無いのに、とりあえずテレビを付けているということもよくありました。
一方で見たいテレビ番組がある場合、その時間にオンタイムで見る必要がありました。録画機器を持っていれば予約して後日に見ることは可能ですが、予約をし忘れたり、その前の野球中継延長によって録画失敗する悲劇もつきものでした。
時代は変わり、今では暇つぶしの王様の地位に就いたのはスマートフォンです。あっという間にテレビを駆逐してしまいました。
見たいコンテンツ(動画に限らず)をいつでもオンデマンドで見たいときに見られる、楽しみたいときに楽しめるデバイスであり、持ち運び出来るのですから外出先、移動先での暇つぶしにももってこいです。
というか、「暇つぶし」あるいは「暇」な何もしていない時間自体が無くなったのです。スマホをとにかく見ているのですから。
今の時代は、各コンテンツ、各サービス、各デバイス、各商売の間での、消費者の時間(可処分時間)を奪い合う時代です。
消費者の側からすれば、魅力的な「暇つぶし先」がたくさんあるので、自分の可処分時間を適切に割り振って、出来るだけ多くの「楽しみ」を得る必要が出てきます。
かくて、時間あたりの楽しみの分量が重視されます。いわゆるタイパですね。
消費者の時間はかつては買い手市場で、暇つぶしの手段を提供する側が強かったのですが、今の時代は暇つぶしの時間を配分する消費者側の方が圧倒的に強くなりました。
だからこそ、タイパが重視され、動画は倍速視聴、書籍はじっくり読まずに速読か要約のみ把握します。映画の要約動画が摘発されたのは少し前ですが、需要があったことも事実で、タイパ重視の人からすれば2時間3時間もじっくり見ていられないのでしょう。私は理解出来ませんが。
この傾向がいつまで続くのか、もっとタイパ重視が過激化していくのか、あるいは逆の方向に振れていくのか。
未来の「暇つぶし」はどうなるでしょうか?
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